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2018年2月 7日 (水)

かしゆて働ちん

  目の覚める記事に出会った。2月5日(月)東京新聞夕刊の〝大波小波〟。一昨年以来の引っ越しで毎日新聞から購読料の安い同紙に切り替えた。友人によると同紙は極左新聞である。しかし毎日より確かに面白い。そのせいかもしれない。それはさておく。見出しは<「西郷どん」と徳之島>。薩摩藩の砂糖きび取り立てで圧制を強いた奄美諸島の徳之島で農民たちが起こした一揆がある。それを〝犬田布(いんたぶ)騒動〟という芝居に仕立てたらしい。

  記者の周辺でNHK大河ドラマの評判は上々という。記事のトーンの左翼調はスルー。しかし一揆が起こった1864年の年代は記憶しておく。場所は、現在は鹿児島県徳之島である。これを劇団熱風座を主宰する伊集田(いじゅうだ)實(みのる)が取材し「犬田布騒動記」という劇を書き1947年9月に「奄美大島の首邑(しゅと)名瀬の文化劇場で」上演したという。アカショウビンが生まれる前の事だ。しかしアカショウビンが育った頃まで名瀬市に文化劇場はあったのではないかと怪しみ従兄に電話した。しかし知らないと言う。聞けば文化会館はあったというから、そこの前身かもしれない。

  表題は「徳之島二上がり」の島唄の冒頭。以下、誰(た)が為どなりゆる/内地(やまと)ちょん髷衆(しゅ)の  為どなりゆり、と続く。訳すと、こんなに働いても誰のためになるのか。薩摩の侍衆の為になるだけではないか。歌詞は記者が記すように正しく支配に抵抗した犬田布農民たちの嘆きだ。犬田布はアカショウビンも小学校の旅行で訪れた。そのとき恐らく殺された農民たちの髑髏(しゃれこうべ)があった。それを想い出す。徳之島や奄美大島は沖縄より一足早く本土(ヤマト)に復帰した。「しかし復帰した先は皮肉なことに、かつての薩摩すなわち鹿児島県だったのだが。」と記者は結んでいる。その皮肉をドラマから読み取る人々はどれほどいるのか?一割か、二割か。それが現在の政治状況のバロメーターだ。記者の「芳朗」というペンネームは奄美の詩人、泉 芳朗から取ったものであろう。

   先日、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006年)を観直した。苛烈な作品である。1920年アイルランドの独立運動の悲劇を冷徹に監督は描いた。東洋の島の一揆から56年後アイルランドと英国の熾烈な抗争の歴史の一幕だ。そこに熱い共感が沸いたのだ。近作の『私は、ダニエル・ブレイク』より作品の全体のトーン、色調はこちらのほうがアイルランドの自然と人々が描写されて美しく朴訥で、幻想的でもあり構成と統一感がある。アカショウビンは近作を観られた方には是非こちらも観て頂きたい。その間の作品もレンタルでいくつか借りられる。それもアカショウビンは観たけれども、『麦の~』の苛烈と冷徹には及ばない。アイルランドと英国の抗争は極東の島国で百年近く経ち、また犬田布一揆から152年後に、日本政府・自衛隊と土地の人々と、恐らくまた親子、友人たちとの間で熾烈な抗争として、時と場所を超え繰り広げられている。そのことに記事と映画を読み観ながら挑発されるのだ。

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