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2018年2月14日 (水)

突破(Durchbruch)

  突破(Durchbruch)とは、テオドール・W・アドルノがマーラーの作品を解くキーワードである。『マーラー 音楽観想学』(法政大学出版 龍村あや子訳)で、龍村氏は次のように説明している。

  突破(Durchbruch)は、「世の成り行き Weltlauf」「一時止揚  Suspension」とともに、アドルノがマーラーの形式を分析する上での基本概念として提示するものである。―マーラー論において<突破>は<世の成り行き>と対置され、この両者の対比は時間性の非連続として現れる。すなわち、<世の成り行き>とはこの場合単なる「世間」の意味ではなく、平穏でつつがなく流れて行く世間的な、あるいは表面上論理的な、伝来の芸術語法で了解可能な時間の動きを意味する。これに対し、その時間を突発的に多種多様に打ち壊し、目覚めさせようとする瞬間がすなわち<突破>として捉えられるのである。さらに、「突破」によってそれまでの内在論理が一時的に停止され、一定の時間、別世界が繰り広げられることが、いわゆる<一時止揚>にほかならない。

  これは何とも魅力的な概念だ。このハイデッガーの痛烈な批判者の音楽哲学はハイデッガーの講義録を読むスリリングと面白さを共有して読める。この分析をマーラーの手持ちのCDを聴きながら読んでいきたい。読み差しのブルーノ・ワルターの回想録、『主題と変奏』(1960年10月 白水社   2001年1月10日 新装復刊 内垣啓一・渡辺 健=訳)と並行しながら。併せて既読の『マーラー』(吉田秀和 河出文庫 2011年3月10日 河出書房新社)も読みながら。

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2018年2月10日 (土)

石牟礼道子追悼

  石牟礼道子さんが亡くなられた。水俣から発信される告発の事実に驚愕したのは学生時代だ。九段会館で開催された会場に行き映像と写真集で事の顛末を知った。貧乏学生として幾らかの寄付もした。それからアカショウビンの生き方はある方向性を見出し活路となった。その後、新版の『苦海浄土』も改めて読み新聞記事でパーキンソン病を患いながらもお元気な様子に刮目した。同志の渡辺京二さんとの共闘も悦ばしく長寿を言祝いだ。九十年の苦闘に心からお疲れ様でしたと哀悼する。今や世界文学と認識され読者を広げる著作は多くの言語に翻訳されることだろう。それほどミナマタの患者さんたちと支援者たちの闘いの歴史事実は世界的な意味を持つ。アカショウビンの余生の間にどれほど著作を読めるかしらないが一行でも読む機会を作らねばならぬ。

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2018年2月 7日 (水)

かしゆて働ちん

  目の覚める記事に出会った。2月5日(月)東京新聞夕刊の〝大波小波〟。一昨年以来の引っ越しで毎日新聞から購読料の安い同紙に切り替えた。友人によると同紙は極左新聞である。しかし毎日より確かに面白い。そのせいかもしれない。それはさておく。見出しは<「西郷どん」と徳之島>。薩摩藩の砂糖きび取り立てで圧制を強いた奄美諸島の徳之島で農民たちが起こした一揆がある。それを〝犬田布(いんたぶ)騒動〟という芝居に仕立てたらしい。

  記者の周辺でNHK大河ドラマの評判は上々という。記事のトーンの左翼調はスルー。しかし一揆が起こった1864年の年代は記憶しておく。場所は、現在は鹿児島県徳之島である。これを劇団熱風座を主宰する伊集田(いじゅうだ)實(みのる)が取材し「犬田布騒動記」という劇を書き1947年9月に「奄美大島の首邑(しゅと)名瀬の文化劇場で」上演したという。アカショウビンが生まれる前の事だ。しかしアカショウビンが育った頃まで名瀬市に文化劇場はあったのではないかと怪しみ従兄に電話した。しかし知らないと言う。聞けば文化会館はあったというから、そこの前身かもしれない。

  表題は「徳之島二上がり」の島唄の冒頭。以下、誰(た)が為どなりゆる/内地(やまと)ちょん髷衆(しゅ)の  為どなりゆり、と続く。訳すと、こんなに働いても誰のためになるのか。薩摩の侍衆の為になるだけではないか。歌詞は記者が記すように正しく支配に抵抗した犬田布農民たちの嘆きだ。犬田布はアカショウビンも小学校の旅行で訪れた。そのとき恐らく殺された農民たちの髑髏(しゃれこうべ)があった。それを想い出す。徳之島や奄美大島は沖縄より一足早く本土(ヤマト)に復帰した。「しかし復帰した先は皮肉なことに、かつての薩摩すなわち鹿児島県だったのだが。」と記者は結んでいる。その皮肉をドラマから読み取る人々はどれほどいるのか?一割か、二割か。それが現在の政治状況のバロメーターだ。記者の「芳朗」というペンネームは奄美の詩人、泉 芳朗から取ったものであろう。

   先日、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006年)を観直した。苛烈な作品である。1920年アイルランドの独立運動の悲劇を冷徹に監督は描いた。東洋の島の一揆から56年後アイルランドと英国の熾烈な抗争の歴史の一幕だ。そこに熱い共感が沸いたのだ。近作の『私は、ダニエル・ブレイク』より作品の全体のトーン、色調はこちらのほうがアイルランドの自然と人々が描写されて美しく朴訥で、幻想的でもあり構成と統一感がある。アカショウビンは近作を観られた方には是非こちらも観て頂きたい。その間の作品もレンタルでいくつか借りられる。それもアカショウビンは観たけれども、『麦の~』の苛烈と冷徹には及ばない。アイルランドと英国の抗争は極東の島国で百年近く経ち、また犬田布一揆から152年後に、日本政府・自衛隊と土地の人々と、恐らくまた親子、友人たちとの間で熾烈な抗争として、時と場所を超え繰り広げられている。そのことに記事と映画を読み観ながら挑発されるのだ。

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2018年2月 3日 (土)

無声慟哭

 先日の芥川賞受賞作の表題は賢治の詩集『春と修羅』の「無声慟哭」中の〝永訣の朝〟から取ったものである。そこには岩手方言の微妙なニュアンスが込められている。アカショウビンはそれを直感したから受賞作を悦んだ。しかも還暦を越えた遅咲きの作家である。作品は読んでないが、かつて繰り返し読んだ賢治の詩とその情景は忽然と蘇える。全集(昭和48年・筑摩書房)から、その箇所を引く。

 

みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

 (Ora Orade Shitori egumo)

ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ

あぁあのとざされた病室の

くらいびやうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

 (うまれでくるたて

  こんどはこたにわりやのごとばかりで

  くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになつて

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ

 この最後の一行に至る、詩人で兄の心の痛みと妹トシの書かれた言葉は兄弟の生きた声のようにアカショウビンには届く。それが幻想と幻聴であっても、人という生き物の慟哭として伝わる不思議は死すべき者と不死の神々たちと交感しようと足掻く人間たちの魂の不可思議さのようにアカショウビンには思える。受賞作の表題は〝ひとり〟となっているが、詩ではローマ字の〝しとり〟である。この声と表記の違いは地元の人たちでなければ正確に聴き分けられないだろう。

 先日、かつての会社の早世した後輩の命日にちなみ、ここのところバッハのマタイ受難曲を繰り返し聴いている。彼女の家族はクリスチャンだった。マタイを歌うソリストたちの声と合唱の声は死者たちと呼び交わす哀しみとなって伝わる。それは彼女を偲ぶにふさわしい音楽である。それは宗教的垣根を越えて人々に伝わるとは言えまいか。少なくともアカショウビンは哀悼の音楽としてマーラーの作品と同じく、西洋の音楽でもっとも心に響くのである。それは有声慟哭として現象する。

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