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2018年1月 9日 (火)

振り返るな、されど歩み戻れ

 昨日は1968年1月9日、東京五輪の陸上銅メダリスト円谷幸吉選手(以下、敬称は略させて頂く)が遺書を残し命を絶った日である。一昨日の東京新聞の記事で知らされた。そうか、あれからもう半世紀が過ぎたのか。アカショウビンは、1964年10月21日の国立競技場のデッドヒートを想い出す。銀が銅でも円谷は、陸上日本に初のメダルを齎した。それが4年後に自ら命を絶つとは小学生から中学になる少年には愕然としたニュースだった。それから1981年に映画『「駅 STATION」(降旗康男監督)で挿入されたそのニュースを久しぶりに観た。物語のなかではあるが、監督、脚本家の意図は十分過ぎるくらい理解できるものに仕立てられた佳作になっていた。それは以来何度も観ている。

 記事では円谷のお兄さん、喜久造さんが当時を振り返りインタビューに答えておられる。円谷は父幸七さんの教えを守り競技場でも後ろを振り返らなかった。喜久造さんは、「幸吉が小学校4年生の運動会で先頭を走る人がしょっちゅう後ろを振り返っていたもんだから、父が食事の時に『後ろを見るな、あんなみっともないことやるもんじゃない』と言ったんです。父が言いたかったことは『後ろを振り返るくらいなら、勝っても負けても最後まで精いっぱい走れ』ということ。幸吉は後ろを振り返る分、前を向いて一生懸命走ったわけだから、あれでよかったのではないですか」と話された。兄として弟の気持ちと父親の無念を言葉にされている。

 五番目の兄の幸造さんの涙がこぼれ落ちている円谷の遺書の言葉を書き移しておこう。

 父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。 敏雄兄 姉上様 おすし美味しうございました。 

 父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまってはしれません。

 何卒 お許し下さい。

 その歴史を私たちは振り返らなければならない。それは過去に〝歩み戻る〟ということだ。記事に文字として残されているものの向こうにある喜久造さんの声と嗚咽、それを想像するということだ。そして歴史の一部を自分の中に受容し活性化させる。人という生き物はそれが出来る生き物ではないだろうか。それは個々人それぞれが試み開示するものだが。

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