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2018年1月19日 (金)

英国人の孤独

 今年の米国アカデミー賞の作品賞は英国映画、『私は、ダニエル・ブレイク』らしい。これは昨年、試写会で観た。レンタルされているので改めて観て感想を書きたい。

 それはともかく、英国で高齢者の孤独に対する行政措置が取られたという新聞報道も読んだ。映画を介して彼の国の現状は日本でも同じとアカショウビンの生活はそれを生きる毎日だ。ただし孤独を否定的に解するか、そうではなく新たな理解が提出できるかは個々人の問題だ。その意味でアカショウビンは現実を受容し変化を求めるなかで新たな可能性を探りたい。その可能性のひとつを『私は、ダニエル・ブレイク』という作品は提示している。ケン・ローチ監督が描く中高年男の生き方は多くの共感を得るものであろう。しかし、それは監督の作品のなかでの話だ。現実は千差万別である。監督の近作をアカショウビンは劇場公開や試写会で観ている。しかし『麦の穂を揺らす風』の衝撃に達した作品には出会っていない。それは監督の主張と思想の齎すものと解する。政治的にいえば左翼的立場とも言える本作の底にある監督の主張はみやすい。しかし、その是非は問わなければならない。この作品は不幸な人々に対する正義感によるものとも見える。それが多くの共感を得た理由かもしれない。そうであれば多少の違和がある。それは映像作品の底にある思想と主張の是非を問われなければならないと考えるからだ。

 先日はアカショウビンの偏愛するシャーロット・ランプリングが出演するという英国映画、『ベロニカとの記憶』(リテーシュ・バトラ監督)の新作を試写会で観て来た。これまた英国の中高年の話である。原作のジュリアン・バーンズの小説、『終わりの感覚』を映画化したものだ。ここにも孤独な英国人の姿が描かれている。ただアカショウビンにはシャーロット・ランプリングが物語の前半には登場せず、ずいぶん待たされた挙句、付け足し扱いの役柄に不満があったが。若かりし頃の『愛の嵐』や『地獄に堕ちた勇者ども』の体当たり演技のシャーロットの姿を再見すると美しく老境を生きている女優の現在を言祝ぎたい感に浸ったことは正直な感想である。

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