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2017年12月 6日 (水)

稀有の偉業

  羽生善治棋聖がついに永世七冠という偉業を成し遂げた。それは将棋界という〝業界〟を超えて刮目すべき偉業といえる。〝永世〟という称号はタイトルを連続五期、通算五期~十期確保した棋士にしか与えられない称号である。それを一つでも達成するのは至難というより稀有の事である。それを七つのタイトルすべてで達成することが如何に至難なことか。将棋界という、世間からすれば異様な世界のなかで或る業績が実現された事は正しくアカショウビンにとって冥土への土産話である。

  映画『聖の青春』(2016年 森  義隆監督)のなかで村山聖が羽生との一勝は他の棋士との20勝に相当する、とライバル棋士に本音を吐くシーンがある。まさに羽生という棋士はそのような存在なのである。村山は、羽生を負かしたタイトル戦の後に羽生を誘った飲み屋の席で、羽生さんは他の棋士たちとは違う世界を見ている、と語りかける。それこそが、羽生という、将棋指しの棋士という肩書を付けられているが、正に稀有の存在の、村山という天才が命を賭けて倒すに足る存在と見做した存在と〝世界〟なのである。

  先日からモーツァルトのピアノ協奏曲を聴き続けている。初期の作品は真作が疑われる作品も有る。しかし、そこには天才とも神童とも評された人物の作品が息づいている。それは残された楽譜を通じて後世の人々に伝えられる。それは稀有の狭路とでも言う通路であろう。羽生の偉業が稀有であると同じようにモーツァルトの音楽も稀有のものである。それを私たちはピンからキリのピアニストたちの演奏を介して聴く。

  羽生は村山に勝負の読みの世界に没入していくとき、時に恐ろしくなることがある、と言う。恐らくそこは底知れぬ深淵というしかない世界だろう。そこへ羽生は村山となら行ってみたい、と語りかける。あの映画の中でアカショウビンがもっとも刺激されたのは、そのシーンだ。あのシーンを描けただけで作品の価値は、将棋で言えば一歩値千金、の重みを有する。

  天才は幾人かいるだろう。しかし、その才能が他の人間たちに伝わるのは稀有のことと思える。モーツァルトも羽生もそのような存在として歴史に名を残すとアカショウビンは確信する。

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