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2017年11月21日 (火)

国家という差別システム

  河瀨直美監督の『あん』という作品はハンセン病をテーマにしている。それは実在の患者の一生を或る点景を核に物語としている。俳優たちも監督の期待に渾身で応えているのがわかる佳作だ。それは日本という国家が歴史のなかでどのような仕打ちを患者たちにしてきたか、という想像力を掻き立てる。河瀨作品はそれを声高に主張しはしない。しかし、教科書でも関連本でも読んだ者なら自分が生きている時空間のなかで無関心ではいられない筈だ。日本語をしゃべり社会的に生活していることがどのような経緯で現在に至っているのか。人は歴史的な存在である。言葉を変えて言えば国家は戦争という政治的手段で国民を殺すことが許されるシステムである。それは現在の政治状況で左右の政治陣営が或る場合には茶番のように演じ論ずる現実である。それはさておく。しかし映像作品の底と裏を想像すれば我々はそのような時空間に存在し生きている生き物であることに無知であってはならない。『あん』という作品は、そのような意識をかりたてる作品だ。

そのような感想を発さずにおられないのは今朝の東京新聞のコラムで鎌田 慧氏が書かれている文章を読んだからである。

氏は1962年に福岡拘置所で処刑されたFさんの裁判を告発している。Fさんの実名が出せないのはご遺族がいらっしゃるからで再審請求を法廷は却下した。無実の人を死刑にする。それが国家というシステムに人は日常で気付くことはない。しかし、そのような現実を我々は生きていることに無知であってはならないだろう。

昨夜、友人から送られたDVDで『皇帝のいない八月』という映画作品を観た。以前、観たような気もしたがアルツハイマーが進行しているアカショウビンには初めて観る作品のように観た。監督は山本薩夫。1978年の作品である。送って頂いた友人の感想では現状の政治状況で単なるフィクションとは思えないと書かれている。その感想は了解する。興味のある方には観て頂きたい。ある映像作家によれば映画はすべてプロパガンダである。その主張はともかく、この作品が強いメッセージを発していることはこの国の歴史を辿れば明確だ。そこには1970年の三島由紀夫の映像も使われている。自衛隊出身のテロリストは脚本が三島を造形したものであるのは明らか。憂国忌も近い。歴史は繰り返すことはないだろう。しかし国民国家は歴史を介して似たような経緯を辿ることは周囲の現実を見ればありうることだ。そのことに我々が棲む日本という国家は立ち至っているとアカショウビンは憂慮する。

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