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2017年11月18日 (土)

疲弊する日常で愚考する

 ハンナ・アーレントのマルクス研究を辿り啓発され思索を巡らす契機となるのは古代ギリシアの都市国家まで遡りマルクスの思想を理解し新たな歴史をハンナが生きた戦後の政治状況に批判的にコミットしていくところだ。それはハイデガーから学んだ知識と知恵の賜物とも言える。お互いの思索はドイツとアメリカに離れていてもお互いの著作にはインスパイアされていたことだろう。1968年、1969年の少人数でハイデガーを囲むゼミナールでハイデガーと参会者たちはプラトン、アリストテレスを読みながらヘーゲル、マルクスの著作、思索、考察を俎上にのせる。それは私たちが生きる現在にも反照する。
 アカショウビンの日常にもそれは鋭く思索を促す。和訳された文言でハンナやハイデガー、マルクスの言説、論説は十分でなくとも愚考を尽くせばその射程の近くまで及ぶかもしれない。それが疲弊、消耗する日常へのエネルギーとなる。エネルギーの語源、ギリシア語のエネルゲイアはハイデガーによればアリストテレスが有(存在)と考えたものである。プラトンがエイドス(形相)と考えた有をアリストテレスはエネルゲイアと考えた。これらの思想をハイデガーはローマ人たちがキリスト教神学と融合させ変容した西洋近代哲学の歪みとして告発、詳説する。
 その思索、考察は遠藤周作が『沈黙』で描く16~17世紀日本のキリシタンたちの生き方、さらには日本仏教への思索を励起する。

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