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2017年10月 7日 (土)

怒りと憤りの場

 日常生活で疲労は蓄積し怒りを発するどころではない。しかし、暴力をもってその場に臨んでもよいと思う瞬間がある。一昨日、四日間の限定で赴いた千葉の巨大な流通センターのアルバイト先で中年女の一言にキレそうになった。その作業場の責任者の対応もそうだが、女の一言には女としての慎みに欠ける不愉快を突きつけられたからである。そんなもの男の幻想だと抗弁する意見は聞く。しかし、それは性的定義でなく人としての慎みと解されるものと言ってもよい。それはともかく、工場労働での体験、経験では誰でも経験する事であろう。それは昨年の手術の前後から先週まで働いた現場でもしたたかに経験した。
 また、別の怒りと憤りは、昨今の国内、海外の政治状況、新聞紙面、書物、映画やテレビ番組のドキュメンタリー番組から推察する我々が生きる場というものである。そのうち書物ではある対談をまとめたものでその主題は沖縄の現実を歴史的に俯瞰し論じたものだ。対談者は辺見庸氏と目取間俊氏。辺見氏(以下、敬称は略させて頂く)の著作は『1★9★3★7★』(2015年 (株)週刊金曜日)以来。『沖縄と国家』(2017年 8月10日 角川新書)は、現今の政治状況と日本の歴史を見通し現在の状況を徹底して批判する痛烈な書だ。アカショウビンは目取真の小説作品の読者ではないが、ブログはかつてネットで読み沖縄の現状を映像と氏の文章で確認していた。辺見という対談者を得て目取真はヤマトゥ(日本)の沖縄への仕打ちを痛烈に批判する。その論拠は辺見の思想スタンスと共振する。沖縄の現在の政治状況は今に始まったものではない。それは明治12年(1879年)の琉球処分から続いているヤマトゥの沖縄に対するスタンスである。直近では昭和天皇の戦後の沖縄切り捨てで新たな様相で現在に至っている。それは基地の島沖縄に負担を強いているヤマトゥの確信犯的仕打ちとして現在に突出して露呈している。そこに沖縄の怒りと憤りが噴出しているのだ。

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