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2017年7月14日 (金)

深夜のシャンソン

 NHKラジオの深夜便はこの数年不規則な生活のなかでよく聴いていた。昨年jの引っ越しで一年間は入院、アルバイトの毎日の中で殆ど聴くことがなかった。今夜は、といっても日付は変わっているが、連休をとり以前の不規則に戻り、たまたま深夜の音楽で目覚めた。そこで奏でられていたのが日本のシャンソンだった。かつて少年時代に聴いたことがある作品を改めて聴いたが初めての作品もあった。越路吹雪が昭和44年に録音した「人生は過ぎゆく」がそれだ。この殆ど語りの曲に越路の恐らく晩年の歌唱の到達点が記録されていると言ってもよい。それは女の愛の睦言という内容だ。それは多くの恋人たちの間で囁かれる睦言だ。しかし、そこに死を覚悟した一人の歌い手のエッセンスとでもいうものが凝集されている。それを聴けたことは果たして偶然だろうか知らぬ。しかし音楽を愛する者の偶然は幸いである。フランスのシャンソンが日本でこのように解釈され根を張ったことに遭遇したとアカショウビンは解する。番組の最後に若い頃に聴いたシャンソンで愛聴したダミアの「かもめ」を石井好子が録音した日本語で聴いた。それもまた越路吹雪と同じく日本のシャンソン受容の到達点と言うべき境地だ。この録音を探すことは現在のネット社会で容易なことだろう。それを聴く機会は多くの若者たちのなかでどれほどあるだろうか。そしてアカショウビンと同じ感慨をもつ人は極く少数だろう。しかし、それでも歌い手の魂とでも言うしかない境地は格別だ。これから何度そのような体験ができるかどうか。しかし、これもまた冥土の土産というしかない。

 番組は沖縄の歌手の歌声に変わっている。この声にも歌い手の魂が込められている。我が奄美の民謡では里 国隆の声にそれを聴いた。我が同胞たちは里を忘れてはなるまい。その声は現在の政治情況のなかで新たな活力を有する筈だ。夏の暑さに消耗する毎日に里を聴くことは現在を生きるアカショウビンにとって天啓の如きものだ。しかし越路や石井の声の中にもその魂の同じおらび(叫び)を聴いたことを記しておく。

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