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2017年6月 9日 (金)

病み、疲弊し、消耗すれども

  引っ越しはしたものの部屋は片付かない。きのうはアルバイトの帰りカーテンを買った。団地は他所様の視線が気になる。両向いは児童公園や庭で離れてこちらの様子は殆ど遠目にしか見えない。カーテンで遮蔽するということは外を気にするというより内側の空間を自分の気に入るように設えるということなのだ。カーテンはお手頃価格のものが買えた。最近駅前にオープンした大手企業である。なかなか気の効いた商品が多いのだ。

 ともあれ粛々と部屋を機能的に整え終わりに向かう、これである。引っ越しで一年間未開封の段ボールの中から聴きたいCDや必要な書物、資料も出てきた。鷗外の『伊澤蘭軒』は何と以前に買ってあった。先日は図書館から大判の全集を借りて読み始めたがこれで傍線や書き込みもできる。引っ越しの功徳というべきものだ。この流れを引き寄せる。それは将棋、囲碁でいう形勢を優勢に持っていくということだ。

 先日からアルバイト作業で右手が上がらなくなった。体力を消耗する仕事なのである。下層労働者の現場は多かれ少なかれそのようなものだ。病と年齢による負担は日々高まる。体力も維持するのがやっとだ。しかし娑婆でやり残した事は多々ある。

 先般亡くなったS・スクロバチェフスキーのブルックナー交響曲全集を中古で手に入れた。かつてバラで買って聴いていたものだ。逝去後に特集が組まれるかと思ったがさほどの話題にもならなかった。しかしこのブルックナー指揮者の録音は無視できないというより熟聴すべき解釈だ。これを新居でじっくり聴く楽しみができた。

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