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2017年5月 4日 (木)

言語は人間固有の音楽なれば

表題は子規が明治22年(1889年)『詩歌の起源及び変遷』で書いている文言であるらしい。以下のように続く。「言語の調子よき事は音楽の調子が如く聞く人に面白く感ぜしめ、其上最も記憶に便なるが故に終に面白きこと感動せしことを故(ことさ)らに調子よく作り、之を歌ふに至りて始めて真正の詩歌とはなりたるなり」。

  上は九鬼周造の『時間論』(岩波文庫2016年2月16日)の解説で編者が引用している。編者はそのあとで九鬼の「詩は言語によって哲学し音楽する芸術である」と述べているらしい。実に刺激的で啓発される卓見ではないか。同書には他に二編の九鬼の論考が収められている。『時間の問題』で九鬼は欧州滞在時に出会ったベルクソンとハイデガーの時間論にも言及し考察している。これも難解であるが精読、熟読を促す論考である。

言語が人間固有の音楽であるならば人間の心身も音楽ではないだろうかというのがアカショウビンの愚考である。日々のアルバイト作業でリズムは不可欠。そこには生の律動とでもいう行為が生成し時を活性化する。連休期間もその作業が生活を律する。今月いっぱいで仮住まいも移転しなければならない。

九鬼には『偶然性の問題』という論考がある。昨年の入院中から読んでいる田辺 元の著作と思索にも偶然性の問題はマラルメの詩を介して重要な位置を占めている。これらについても考察していきたい。

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