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2017年4月24日 (月)

通院治療

 昨年8月の手術から三か月ごとの膀胱癌・抗がん剤治療で1月下旬以来都内某病院へ。先週は別の病院で下咽頭癌の内視鏡検査。きょうはもっと苛酷な処置で戦々恐々の思いで今受付ロビーで待機している。膀胱鏡が尿道から侵入して来る不快感と痛みは男ならではかもしれない。
 それにしても抗がん剤治療は昨年の手術以来一方的に始まった。その効果のほどは詳しく説明されているわけではない。しかし10年くらい前から始まった治療らしい。まぁ、眼を見張る効果はなくとも癌治療の進展に寄与出来るなら実験台にもなるにやぶさかではない。しかしあの不快感と痛みは困る。治療への意欲も萎えるというものだ。
 去年はお盆前の夏の暑さに喘ぎながら、そのあとの下咽頭癌の手術に備え秋から冬を過ぎた。体力は衰えたとはいえ生きながらえている。やり残したことは幾つかある。それを済ませながら粛々と死に至りたいものだが引っ越しもしなければならない。現実は粛々とはいかないのだ。ジタバタ、ドタバタしながら娑婆を去ることになるだろう。午前10時の診療予定がもう46分を過ぎた。まだ呼ばれない。
 診察カードを受付に出し忘れたこちらのミスが遅れた原因。主治医のK先生も苦笑い。雑談の中でアカショウビンの前回の絶叫をよく覚えていた。まぁ、ああいう患者は珍しいのだろう。今回はできるだけ痛まぬようにと下半身麻酔は?と問うと抗がん剤注入でそれはないと一蹴。しかし前回の膀胱鏡検査ははしょってもらった。処置で麻酔ゼリーをたっぷり使ってもらったけれども痛みはあった。手術後これが3回目の抗がん剤注入。2年間8回処置するわけだから先は長い。それまで我が身はこの世に在りや無しや。

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2017年4月17日 (月)

上部内視鏡検査

 なめられた、というのが本音の検査だった。前回胃カメラ検査で見つかった下咽頭の5㎜くらいの癌を再度、去年手術をした病院で検査した感想である。先ず麻酔の処置をする若い女医の話し方に不快になった。これが患者の命を預かる医師の言葉か。そこらの呑気でキャピキャピの娘たちの調子と大差ない。間抜けで私は馬鹿ですという話し方だ。そのあと鼻から内視鏡を入れて操作した別の若い女医も同様。経験の浅さが如実に言葉と器具の扱い方に表れている。付き添っている若い男の医師がアカショウビンを後輩の練習に利用しているのが隠しようなく見てとられるのだ。痛みも伴う。アカショウビンは抗議のつもりで大声をあげた。胃がんの手術のときと同じように。ボンクラ医師たちにこちらの意思は伝わっていないだろう。処置時間は約30分。親切でこちらはまともそうな看護師さんの案内で仮眠室へ。約30分仮眠し検査を終えた。何カ所か生検はしたが何とも雑な対応だというのが本日の検査報告である。果たしてこんな対応で日本の医療は大丈夫なのか。

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2017年4月 7日 (金)

徳之島西方二0浬(かいり)

 本日は昭和二十年、戦艦大和が特攻で出撃し徳之島沖で空から米軍機、海からは潜水艦による魚雷攻撃により沈められた日である。生き残った吉田満氏の“作品“は文庫で読める。しかし初出の文章はGHQの検閲により日の目を見なかった。それを米国で発見したのは文芸評論家の江藤淳である。その初出の文章は昭和56年9月号の「文学界」に掲載された。それは実に凝縮された漢字片仮名混じりの文章だ。検閲で書き直した文庫の文章とはまるで異なる。それは後に『一九四六年憲法-その拘束 その他』(文春文庫1995年1月10日)に所収された(p395~432)。それを再読し乗り組み員三千余名の鎮魂としたい。

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