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2016年12月 4日 (日)

無意識と歴史の関連

 「空想的リアリストは憲法九条があるために自国を護ることができないのですが、われわれは憲法九条によってこそ戦争から護られるのです」。この主張には左右中道各派から異論が呈されるだろう。もちろん若い人からも。その議論の核には精神分析の〝無意識〟と〝歴史〟と哲学者の〝論考〟が熟考されなければならない、というのが主張者の論説の内容だ。フロイト、アインシュタイン、中江兆民、北村透谷、内村鑑三、幸徳秋水、ホッブス、カントなど歴史上の人物が次々と援用、引用される。

 上は柄谷行人氏の近著「憲法の無意識」(2016年4月20日 岩波新書)による柄谷氏(以下、敬称は略させて頂く)の締め括りの一文である。アカショウビンはとても興味深く読んだ。実は先ごろ朝日新聞の柄谷のインタビューを友人が知らせてくれて読んだこともある。そのインタビューは現行憲法の内容を徳川時代までさかのぼり後期フロイトを援用、引用するものだった。またにカントの『永遠平和のために』(1795年)のことも話していたかもしれない。そのコピーがないのが残念。アカショウビンは柄谷の読者ではない。しかし本書で柄谷が説く論説と論拠には刺激された。それは昨今のマスコミ紙上で読む憲法論にはない面白さがある。インタビューでは第1章の「憲法の意識から無意識へ」、第2章「憲法の先行形態」が中心に説明されていたと記憶する。しかしアカショウビンは第3章の「カントの平和論」から読み始めた。それは柄谷の論拠がカントにあるような予想があったからだ。だが、思想家、柄谷行人はそれほど単純でもない。ヘーゲルのカント批判、マルクスまで引用し柄谷は徳川時代から明治時代までの歴史を辿り自説を展開する。それは現今の憲法論議に一石も二石も投じる内容をもつ。日々の仕事に消耗するアカショウビンだが、刺激される書を読めば活力も湧いてくる。

 米国の大統領選や我が国の現政権の動向に憲法論議は不可欠。今朝の東京新聞の朝刊にはドナルド・キーン氏が〝玉砕の悲劇 風化恐れる〟の見出しで東京下町日記を書いておられる。アカショウビンは駅売りで買っているのだが買い忘れることもある。この稀有の日本文学者の文章を読むことは多くの刺激を受ける。三島由紀夫の命日を過ぎ今月は先の大戦の開戦の月である。暮れの喧騒のなかで何か書かねばならない衝動にも駆られる。ハイデッガーは『世界像の時代』の演題で1938年6月9日に講演している。先日たまたま読み直したがドイツの戦争体制のなかで興味深い論考である。この感想も述べてみたい。

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