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2016年11月15日 (火)

病とは何か?

 下咽頭ガンの手術で入院した病院へ定期検査に。8月24日に手術し9月5日に退院した。友人のNA君と一杯やったあと帰りの地下鉄で気分が悪くなり通路にへたり込み立ち上がれなくなり駅員さんに助けを求め車椅子の世話になったのだった。あれから月に一度定期検査をし本日が退院以来二度目の検診。前回と同じく鼻からカメラを通し手術のあとを見る。異常はないらしい。来月の検査日時を決め、来年2月にはCT検査をすることに。診察室を出て会計を済ませ外に。昨夜の雨はやみ青空も。木造のベンチで老いた患者か見舞い人か談笑している。彼らもアカショウビンも濃淡の差はあれ死を意識し覚悟している。病はそういうはたらきを人にする。
 街中を様々な人々が行き交う。多くは此の世で生きることに翻弄されている。しかしアカショウビンは如何に死んでいくか、という現実を生きる渦中にある。明日、アルバイトに行けば段ボール潰しに追いまくられオリコン作り、ピッキングの商品補充に重いハンドリフターを操作し一日が過ぎる。死は意識に上らない。それでも我が身はガンに侵され死は遠からず我が身を支配し意識を消失させる。それまで心おきなくなど不可能だろうがそのために手を尽くす。それがアカショウビンに課せられた日常だ。悟ることはできなくとも日常の時々刻々にそれを実践する。街中を笑いさざめきながら過ぎる子供たちの生とアカショウビンの生は異なる。サラリーマンたちとも。アカショウビンは彼らと異なる時空を生きなければならないのだ。五月から住んでいる町の駅に戻ってきた。録音されたアナウンス音が煩わしい。体調は悪くないのだ。病院近くのお気に入りの店でランチも平らげた。少し苦しくなったけれども。そう、そう。ここのところ、ブラームスの二曲の弦楽五重奏を聴いてあきないのだ。その旋律は残り少ない人生に聴くにふさわしい深さをたたえている。以前は、あまりじっくり聴くことがなかった作品だ。腑に落ちるのに時の経過が必要な作品というのが確かにある。小津の映画もそうだし音楽、美術にもあるだろう。晩年のスタイルというものも確かにあると思われる。人それぞれに。病はそれを気付かせてくれる。
 それにしても病とは何か。その糸口をもう少し探らなければ。
 

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