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2016年10月27日 (木)

すごいもの

 先ごろ終了した将棋・王位戦は先のブログでも書いたように正に手に汗にぎる熱戦だった。本日の東京新聞で第五局の終盤の局面が解説されている。文字どおりの激戦。羽生王位と木村挑戦者のぎりぎりの読みあいの様子が目に浮かぶようだ。アカショウビンもネットで観ていて二転三転の局面から目が離せなかった。将棋でも囲碁でも拮抗した終盤戦のぎりぎりの寄せ合いの面白さはかくの如し。ファン冥利に尽きる。記事では立会人の福崎文吾九段が「久しぶりに、すごいものを見た」と話したと書かれている。公的なコメントというのを差し引いても同じプロとしての正直な本音が吐露されている、とアカショウビンは読んだ。

  ものとは何か。すごいとは漢字をあてれば凄いだろう。ものとは物ではない。盤上に指される手を通して推察される対局者の頭脳の動きである。精神の緊張と集中である。それをプロは同業者として瞬間に察知する筈だ。アマチュアもそれに近いものを深さの違いはあれ感じる。それは景色として表現できるかもしれない。さまざまな局面と対局者の想定する局面の景色として。 それは風景ではない。

 先日若い友人から観たい風景、景色は何ですかとネットで問われた。半分冗談だがひとつの答えとしてアカショウビンの病気や現在の生き様を介して考える機縁になりそうなので冥土と回答した。冥土が有るのか知る由もない。しかし日本人の多くが歴史的に浄土思想に淵源をもつ冥土という観念を受け入れ生活の中に入り込んでいる。それを景色として描くことは死を死後として考えることでもある。一方で死ねば何もない。それは無の世界だという考えもある。それでは無とは何か。それはまた別の主題だ。

 少なくとも〝すごいもの〟は無ではない。目には見えないが盤面を介してそれは想定される。

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