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2016年9月12日 (月)

ハイデッガーノート ①

  人間の「生涯」は、場所的、時間的に限定された或る範囲を走り続けるのであり、この範囲の内部での一つの道であり、一つの周期、しかも死ニ終ワルベキ、死を孕んだ、死を携えた、それゆえ死へ通じている周期なのである。死は、そのつどの生涯を完了するのだが、しかし死は、人間の本質の有を終了させはしない。『パルメニデス』(創文社 1999年12月10日 北嶋美雪 湯本和男訳 p164 以下の引用でカタカナの翻訳語の前のギリシア語は割愛させて頂いたのでお断りしておく)でハイデッガーはそう講義した。それはパルメニデスの教訓詩を読み解く過程でギリシアのポリスの正確な意味を解説する途中で述べられたものだ。続けてハイデッガーはギリシア人たちの死生観ともいうべき「エンタデ」(ここ)と「エケイ」(かしこ)について次のように説く。「死とともに、ここからかしこへの、かなたへの一つの移行が起こる。この移行は、一つの通行の始まりなのであり、この通行は、それ自身再び、一つの新しい『死ニ終ワルベキ周期』への移行において完了する。それゆえ、問いは、こう問われなければならない、人間の本質がそのつど、ここ、この世での、死を孕んだ生涯を完了した後で、何が人間の本質を取りまいているのか、また人間の本質のためにとどまっているものは何なのか、と。」

  そこからハイデッガーは、キリスト教的な「来世」がプラトンの思想・哲学、あるいはその後のプラトン主義、新プラトン主義がキリスト教に根本的な影響を与えていったと説く。ハイデッガーはここでプラトンの「国家」を参照しながらパルメニデスが生きたギリシア社会でのギリシア人たちの思考、思想、哲学を詳細に読み解いていくわけだが、それは難解だが丁寧に読めば明解また痛快でもある。ギリシア人たちの思考、思想が後のローマの支配下でどのように変遷、変質、改変されていったかをハイデッガーが地質学者が一つ一つの化石から時代を読み解くようにキーワードともなる語を通して読み解いていくからだ。それは文献学者としてのニーチェでさえプラトンやアリストテレスをギリシア的にではなくローマ的にしか理解していないというニーチェ批判となって別の講義で追及、対決される。それについては後に考察する機会もあるだろう。

  「パルメニデス」のこの箇所はハイデッガーが読み解いたギリシア人たちの思考、思想がいかに近代以\降の西洋哲学のなかで逸脱とも言える規模と内容で変質、変容したかというハイデッガーの指摘の他の講義、著作のなかでも繰り返される主張の一端にすぎないが、ここはハイデッガーの思想の根幹であるから注意深く、繰り返し行間を読み説かなければならない。そこでハイデッガーは「ダイモニオン」というギリシア語に着目する。ドイツ語ではデモーニッシュ、日本語では「霊妙不可思議なもの」と訳されている。しかしそれはギリシア人たちの考えている「本質や本質の広がりを、決して射当てることはないであろう」(同書p170)とされる。

   さらにハイデッガーは「観照」と訳された言葉でギリシア人たちの見ることが、それ以後に変質、変容したことを指摘し有(存在)を説く。少し長いけれども引用して繰り返し熟読玩味していきたい。

  有が観照されるところでは、見なれたもの‐でないもの、つまり見なれたものを「越えて」ゆらめき去る溢れたもの、有るものからのいろいろな説明によっては説明できないもの、そうしたものが告げ知らされるのである。(中略)見なれ‐ないものは、また、いまだかつて‐けっして‐なかったものではなく、つねにすでに前もって、すべての「不気味なことがら」に先立って現成しているものである。見なれ‐ないものは、すべての見なれたもののうちへ、つまり有るもののうちへ差し込んでくる有なのであり、この有は、その光が差し込むことで、しばしばただ、音もなく流れる雲の影のように、有るものにかすかに触れるだけなのであって、こうした見なれ‐ないものは、何ひとつ奇怪なものや騒々しいものを持ってはいない。見なれ‐ないものは、単純なもの、目だたないもの、意志の鉗子には掴みえないもの、計算のすべての術から逃れでるものである、それというのも、すべての計算を追い越しているものだからである。出現するすべての有るものを日々押し進めることにとっては、通常の経験がそれに驚くにちがいないものなのである。(p172~173)

   田辺 元は戦時中から戦後にかけて、このハイデッガーの講義の内容の一端を教え子の留学生やドイツの哲学誌から聞き読んでいたのであろう。誠実な敬意と強烈なライバル意識をもってその言説・論説に論及・批判を加えた。それはまた別に追及しよう。

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