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2016年9月12日 (月)

ハイデッガーノート ③ 慎み、恵み、調えるもの

 ギリシア人たちの神々の根本本質は、他のすべての神々と違って―キリスト教の神とも違って―、ギリシアの神々が、「現成すること」と「現成する」有に由来するという点にある。(中略)ギリシア人たちの神々は、人間たちと同様、何ひとつ運命に先立って、また運命に逆らっては、なしえないのである。モイラ〔運命〕は神々と人間たちの上に現成する。(p188~p189)。

 「根本本質」というのは、何か特別なことを言おうとしているのだろうか。それにしてもギリシアの神々はキリスト教やユダヤ教の神と何と異なることだろう。それは我々の仏や仏たちとも。それはともかく、さらにハイデッガーが説くところを追ってみよう。

 「神々」が、ダイモネス〔ダイモーンたち〕―テアオンテス〔観ル者タチ〕であり、なれ親しんだものと見なれたものとの現れにおいて、ともに現れるという、まさにこのことのために、それらの見なれ‐ないものは、極めて純粋に節度と穏やかさのうちにあり、そのため神々の現れにおいてアイドース〔慎ミ〕とカリス〔恵ミ〕が―有の慎みと恵みが―到る所であらかじめ差し込んでおり、輝きながら指示しており、指し示しながら調えているのである。たとえ私たちがギリシアの神々を、調える者たちと呼ぶ場合に、その本質を前もって、より元初的に思考するにしても、私たちは、この神々を、調えるものたちと呼んでよい。というのは、慎みと恵みと穏やかさの輝きとは、有に属しているのであり、それらは、アイドース〔慎ミ〕とカリス〔恵ミ〕のうちで詩作しつつ、タウマストン〔驚嘆スベキモノ〕とダイモニア〔霊妙不可思議ナモノ〕において思考しつつ、経験されるからである。

 

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