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2016年8月23日 (火)

奇妙な符合

 本日、昨年から四度目の入院。今回は約1カ月の入院期間となる。本やCDも準備した。入院には住民票も必要ということで市役所に行く。行きは歩いて行ったが戻りはバスで。キャリーケースとリュックサックを背負い体力の消耗を避けるため。とにかく通常の動きを意識的にゆっくりする。地下鉄で築地まで。途中で読みさしの本に目を通す。その一文に奇妙な符合を看取した。引用して入院を契機にさらに熟考、考察していきたい。
 従ってプラトンの二つの探究の決定的な箇所において(洞窟の比喩の場合には最初の文章において、ここ『テアイテトス』においては最終部で)、(ギリシア語)<構エ>が論じられたのは偶然ではない。(ギリシア語)<構エ>とは、有るものへの、従って真なるものへの固有の構えに基づいて、人間が自ら引き受ける人間の関わり合いである。我々はそこから一つのことを読み取る。つまり有への問いも真理(非秘蔵性)への問いも、即ち同時に有への志向と開蔵性との生起の内的な統一への問いは、人間自身への問いである、ということである。この人間自身への問いは、完全に一定の方向に定められてお り、完全に一定の仕方で人間の力を要求する。人間への問いによって人間は、彼の小さな自我とその偶然性、貧弱さ、困窮に縛りつけられているのでは決してない。そうではなく、この問いにおいて、人間の本質根拠の、つまり彼の現有の拡がりと根源性が、全体としての有るものへの関わり合いに対して開かれる。そしてこの有るものの不気味さに関して或ることを我々は予感するのである。(ギリシア語)<多クノ不気味ナモノガアル、シカシ、人間ヨリ不気味ナモノハナイ>
 アカショウビンの残された時の間に、このような思索にどれだけ深く切り込み、共振し、何事かを会得できるか、そこが急所だ。先ほど病院に到着し手続きを済ませ病室へ。14階で築地市場が一望できる。サラリーマンのころは仕事でよく通った。しかしこのような眺望で見渡すのは初めて。これも入院のおかげ。これからCT検査。この不気味な生き物は手術でさらに不気味さを増すのか、それとも不気味さと反対の方向の通路を見出だすのか。体験、経験と共に思索を続けよう。

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