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2016年8月28日 (日)

くぬぎの木と泉

 この数年というより10年以上にもなるか、渡辺京二氏の書かれる本に刺激、共感することが多かった。先日も図書館でたまたま最新刊が借りられたので早速借りて他の本と並行して読み続けた。今年4月の熊本地震では被災されそのレポートは月刊誌で読んだ。その論じるところは保守論壇に帰属するものといってよい。現在の政治状況に対するスタンスも明確に自らそう規定している。『さらば、政治よ -旅の仲間へ』(晶文社 2016年6月15日)と題された著作が世に出た経緯は氏の人柄を彷彿させる。それはともかく、4部構成の本書で熟読すべきは講義と題されたカール・ポランニー論である。1980年に行われたものだが氏の明晰な思考が躍如している。それについては後に詳しく再説しなければならない。とりあえず高齢の氏の気迫と覚悟の漲った文を抜き書きし病床の勉励の一助としたい。

 私は国家の受益者であるから、それなりの代償は払う。しかしそれ以上は国家と関わらぬ個でありたい。狼のようなフクロウのような、あるいはくぬぎの木のような生き物でありたい。そういう者として人間の仲間を始めとして、万象とともに生きたい。その位相では国家は関係ない。そういう位相の自分でありたい。そういう国家から自立した人間がともに生きうる共同世界を作りたい。そういう人間は現代からの脱落者であるかも知れないが、そうした離脱こそ再生へのイニシエイションとならないであろうか。

 私は党派的なコミューンを作りたいのではない。荒野を一人旅する決意があれば、まわりに自ずと泉は湧くだろうと言うのだ。国家からの離脱は遁世ではない。国のお世話にならずとも、自分で生きて見せるという意地さえあれば、逆にこの世はともに旅するものたちで成り立っていたことに気づくだろう。それを泉とたとえてみた。(同書p33 以下は割愛させて頂く)。

 その言や好し。その意気や好し。その志や好し、である。第3部の読書日記も氏の多角的な視角を示してこちらの読書意欲を励起する。特にソ連をひとつの「文明」と捉えると題されたシニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』論評は興味深い。氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー 1998年)のヒントになった著作ではないかとも推測される。また石牟礼道子関連の2作も長年共闘してきた戦友への敬愛あふれる批評である。第二部はインタビュー。よく構成されている、氏を知る好著である。くぬぎの木と泉のたとえはアカショウビンの現在の心境を代弁して頂いた思いで引用した。86歳とはいえまだまだお元気。政治的立場は異なっても先日亡くなったむのたけじ氏は101歳の高齢。氏にももうひと頑張りしていただき後輩たちに喝を入れて頂きたいと切に思う。

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