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2016年8月11日 (木)

私が生存する世界

 何と45年か46年ぶりに『ジョニーは戦場に行った』という映画を観た。きのう市立図書館へ行き係の女性に、ものは試しと、こういう作品はDVDかビデオでありますか、と尋ねると検索して、あると言う。レーザーディスクで残っていた。予約制で夕方まで時間があったので監督のダルトン・トランボの伝記・作品論の本にも目を通した。その著者は同作には辛口の評価だった。
 それはともかく、映像に集中した。冒頭は真っ暗な画面に微かな声だけが聞こえる。それから第一次世界大戦の記録映像。それも含めて40余年の間に記憶はすっかり失せていた。画質は酷く劣化していたが鑑賞できないほどではない。観終わって、やはりこれは苛烈で監督の強烈なメッセージが叩き込まれた完成度はもの足りないけれども、人間という生き物がこの惑星で、どのような生き方と死に方をしたのか、という事を伝える佳作だと実感した。戦場で負傷し辛うじて一命はとりとめたものの手足はなく顎も無くし話すこともできない若い兵士が意識だけは保持し生きながらえている。そのような極限状況で生きて存在している。そのような世界とは何か、という問いが立ち上がる。
 その前に同監督が脚本を書き10数年ぶりに作品クレジットに名前が出た曰く付きの「スパルタカス」をこれはレンタルDVDで熟視した。作品としては巨費を投じたB級大作である。監督はスタンリー・キューブリック。後に、あれは私の作品ではない、と語ったらしい。しかし後の作品を想像させるカットは幾つか確認できる。例えば、「バリー・リンドン」の戦場の会戦シーン。しかし3時間以上の長尺で集中力を持続するのは難しい。しかしDVDなら映像を止めて繰り返し観ることができる。「ジョニーは~」でそれができなかったのは残念。機械を自分では操作できないシステムなのである。いずれDVDになってないか探してみよう。
 それにしても、現在の我が身を鑑み、このような映像を観てつらつら考える事は、我が身が存在しているこの世界とは何か、という古くて常に新しく立ち上がる問いである。

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