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2016年8月30日 (火)

屋形船

  夜、隅田川から東京湾に出入りする屋形船が行き交うのが遠くに眺められる。満艦飾とは正確な譬えでないだろうが派手な電飾がゆるゆると移動するさまは中の様子を想像すると悔しいけれども楽しくもなる。仕事の役得で何度か乗った。飲んで食べてコンパニオン付きで皆さん定番のカラオケで楽しむ。 きれいどころの芸者付きという贅沢にありつけなかったのが残念。落語の「百年目」の番頭さんの舟遊びを一度でいいからやりたかった。まぁアカショウビンの人生ではコンパニオン付きが分相応ということなのだろう。それをいまは遠くから眺めて記憶をたぐる。その時の不可思議さを熟考しなければならない。夜の病室からは林立する高層ビル群の灯りが 赫々と威容を放つのが奇妙な光景のようにも思える。その光景を包み込む有は実感できるか。ベッドテーブルを照らす橙色の灯り、コーヒーカップ、部屋を区切るカーテン、同室の患者の鼻をかむ音、外の景色、それらを包み込むものとしての有をだ。思索者によれば、そこに至る通路があるという。それは果たして通路なのか。仏教で説く道、あるいは禅でいう悟りへのワープの如きもの。それを我が物としなければならない時にアカショウビンは現在しているのではないか。それはそれほど猶予のないものであるはずだ。何を悠長な感慨に浸っているのだという怒りの声も聴きとらなければならないだろう。愚図愚図している時ではない。

  しかし静かな夜なのだ。夕方、鼻から胃に入れていた点滴のチューブがやっと外された。夜は手術以来初めての流動食を口から流し込んだ幸いを味わっているためだろう。重湯とトロミをつけたスープ、野菜ジュース、ヨーグルトだけの食事だが口から摂取するあたりまえのありがたさを忘れるな。しかし愚かな者どもはそれを忘れる。私もそうだ。私はしかしそれを忘れても有と共振できるだろうか。我が振動は大地のまた大気の震動とも共鳴するだろうか。

  夜も遅い。屋形船はまだ往行しているだろうか。台風は去り海はおだやかだ。向かいのベッドのNさんはすでに高鼾。隣のUさんは明日か明後日にも退院らしい。

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病室スケッチ

 四人部屋には必ず変な人が一人いる、というわけでもないだろうが、少なくとも昨年と同じ状況に現在もある。アカショウビンの部屋は入り口から見て窓側の左である。トイレは入り口の右側。その隣の人が去年も変な輩だった。夫婦というが、どうみても親子の歳の差である。母親と息子という。妻は大阪弁で傍若無人。夫はわがまま。妻に頼り放題。他の患者に何の遠慮もない。今回は色の浅黒い中東人風。聞けばネパール人らしい。禿頭で無表情。一種、不気味である。検温のときに看護師と会話の中で笑いもあるから悪人ではないらしい。しかしロレツの回らない頼りなげな大声を出す。アカショウビンはネパール人を差別し差別される立場にはない。しかし他の患者がいるのに携帯電話で家族らしき女性に哀れな声で話すのは男として人間としてあまり好きになれるタイプではない。はなはだ迷惑である。この傍若無人さは昨年の夫婦といい勝負だ。周囲が見えなくなる時が人にはある。しかし看護師に何度も注意されながら平気で大声で話す。その神経がアカショウビンにはわからない。

 本来なら簡単な挨拶くらいするものだろうが、それは去年の病院でもなかった。それは四人部屋の病室の暗黙の了解なのかもしれない。しかし日本人の人情くらいは彼に伝えたいと思うが。ネパール語というのはインド語圏なのだろうが、フニャフニャしているうえに彼自身の滑舌が手術のためか明瞭でない。それに病で不安なのであろう、声が助けを乞うように情けない。したがって、あまりこちらから話しかけてひとつネパールの面白い話でも聞きだしてやろうという気分にならない。

 これも築地の市場を眺めながら書いているのだが、低い雲が形を変えて陽が射してきた。台風10号は過ぎたようだ。新聞はブーメラン台風と命名していた。東北の稲作は大丈夫だろうか。山形のコメはやられてないだろうか。

 朝の診察で、午後には飲み込みのテストをして大丈夫なら水と流動食に切り替えるとの説明。明日は“抜鈎”するとも。ばっこうと読む。喉の回りを切って縫い合わせ留めた金属を取り除くのである。鏡で見るとホッチキスの針のようなもので傷口を止めてある。それが鈎なのだ。何とこのパソコンですぐに変換されたのにびっくり。

 雨もあがり、築地の場内は運搬車、バイク、軽トラ、大型トラックがゆっくり動き回っている。豊洲移転の時期を小池新都知事は見直すと述べているらしいがどうなることやら。

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2016年8月29日 (月)

月曜日、朝の築地

  月曜日の朝。空は曇りリバーサイドの高層ビルや遥か彼方の景色はターナーの風景画のようにくすんでいる。14階の食堂から見下ろす築地市場は、きのうとうって変わって動きが活発だ。この時間、海外からの観光客は少ないだろうが市場の労働者は忙しなく独楽鼠のように働いていることだろう。江戸時代も現在も食の要の場所というのは活気があっていいものだ。観光客が市場を訪問見学したがるのも洋の東西を問わず食は人間最大の関心事の一つということだろう。アカショウビンも海外へ行ったときは市場を見るのが楽しみだった。韓国の釜山の市場は小母ちゃんたちが陽気で元気だった。こちらが日本人だとわかると刺すような視線もあったはずだが。東南アジアの市場も活気にあふれていた。カニに指をはさまれて大声をあげたのも懐かしい思い出だ。あれはタイのバンコクだったか、ベトナムのホーチミンだったか。

  朝の回診は主治医のY医師がチームを引き連れて風のように訪れ去っていった。寸秒が惜しいかのように。停滞してはいられないのだ。それは現代という時代でビジネスチャンスを逃すことなのだ。医療も同じ。がん患者はどんどん増えている。次の患者の治療に停滞していては一つの命を救えないということなのだ。朝の診察で前頸の血抜きの管が抜かれた。右肩がだいぶ楽になった。手術から5日目。身体は少しずつ回復しているのだろうが気分はどんよりしている。

  東京湾から戻る屋形船が隅田川をゆるゆるとのぼっていく。この時間に客は乗っていないだろう。あいにくの天気だが昼にむけて市場も人が増えてくるだろう。こちらは部屋で一休みだ。

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2016年8月28日 (日)

くぬぎの木と泉

 この数年というより10年以上にもなるか、渡辺京二氏の書かれる本に刺激、共感することが多かった。先日も図書館でたまたま最新刊が借りられたので早速借りて他の本と並行して読み続けた。今年4月の熊本地震では被災されそのレポートは月刊誌で読んだ。その論じるところは保守論壇に帰属するものといってよい。現在の政治状況に対するスタンスも明確に自らそう規定している。『さらば、政治よ -旅の仲間へ』(晶文社 2016年6月15日)と題された著作が世に出た経緯は氏の人柄を彷彿させる。それはともかく、4部構成の本書で熟読すべきは講義と題されたカール・ポランニー論である。1980年に行われたものだが氏の明晰な思考が躍如している。それについては後に詳しく再説しなければならない。とりあえず高齢の氏の気迫と覚悟の漲った文を抜き書きし病床の勉励の一助としたい。

 私は国家の受益者であるから、それなりの代償は払う。しかしそれ以上は国家と関わらぬ個でありたい。狼のようなフクロウのような、あるいはくぬぎの木のような生き物でありたい。そういう者として人間の仲間を始めとして、万象とともに生きたい。その位相では国家は関係ない。そういう位相の自分でありたい。そういう国家から自立した人間がともに生きうる共同世界を作りたい。そういう人間は現代からの脱落者であるかも知れないが、そうした離脱こそ再生へのイニシエイションとならないであろうか。

 私は党派的なコミューンを作りたいのではない。荒野を一人旅する決意があれば、まわりに自ずと泉は湧くだろうと言うのだ。国家からの離脱は遁世ではない。国のお世話にならずとも、自分で生きて見せるという意地さえあれば、逆にこの世はともに旅するものたちで成り立っていたことに気づくだろう。それを泉とたとえてみた。(同書p33 以下は割愛させて頂く)。

 その言や好し。その意気や好し。その志や好し、である。第3部の読書日記も氏の多角的な視角を示してこちらの読書意欲を励起する。特にソ連をひとつの「文明」と捉えると題されたシニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』論評は興味深い。氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー 1998年)のヒントになった著作ではないかとも推測される。また石牟礼道子関連の2作も長年共闘してきた戦友への敬愛あふれる批評である。第二部はインタビュー。よく構成されている、氏を知る好著である。くぬぎの木と泉のたとえはアカショウビンの現在の心境を代弁して頂いた思いで引用した。86歳とはいえまだまだお元気。政治的立場は異なっても先日亡くなったむのたけじ氏は101歳の高齢。氏にももうひと頑張りしていただき後輩たちに喝を入れて頂きたいと切に思う。

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術後4日目

 以前棲んでいた江戸川区のアパートが建て替えられてそこを出なければならないという夢を見た。というより私はそこに存在しその時を生きていた、というのが正確のような。そうなのだ、夢は見るのではなく、夢を生きる、あるいは夢で生きるというのが正しいのではないか。二階の6畳の部屋の廊下に黒いスーツ姿の不動産らしい男たちが押しかけ何事か大声でわめいている。私はその間に割って入り階段から一階に降りアパートをあとにした。

 これは夢のお告げでアパートが本当に建て替えられたのだろうか。しかし、それはどうでもよいことだ。入院で欝々としている時に過去が形を変えて現在にサインを送ってきたということだろう。そのアパートには学生時代、中野の三畳のアパートから引っ越してきたのだ。同じくらいの家賃で都内より広い部屋にということで探したのだろう。近くには銭湯が二つもあり棲みやすいところだった。そこを引っ越したのは叔父夫婦が住んでいた埼玉のアパートを引っ越すので代わりに住まないかという話があったため。二部屋あり一人で住むには十分の広さだった。

 こうして過去を振り返ることも娑婆での生の区切りをつけよという警告の如きものだろう。あまりにのんびりし過ぎているぞ、という。

 夢から覚めると向かいのベッドの患者が呻いている。その声で目覚めたようでもある。時計を見ると夜中の3時過ぎである。苦しむ声が続くのでナースコールで看護師さんを呼んだ。しばらくして声は止んだ。それから眠られなくなった。

 朝の「題名のない音楽会」を久しぶりに見た。そのあと“処置室”へ。既に数人の患者が座って待っている。明らかに平均年齢は70歳を越えている。アカショウビンが一番若い。前頚と後頚の二か所から管を入れ下咽頭のガン摘出部からの出血を器械的に吸い出しているのだが、その前頚からの出血が少なくなったので管を外した。部屋に戻り休息。とにかくだるさが回復しないのだ。きょうの看護師さんは聡明そうな女性。会話のやりとりでそれがわかる。聞くと回復までは数か月かかるという、右腕で重いものが持てるようになるまで。それまでくたばっているかもしれないと茶々を入れると、いえ私が助けてあげますと笑って答えた。その表情と声に聡明さが輝いていた。看護師も百人百様である。

 聡明とは何か、と少し考えたくなったが集中力が続かない。しばらく休憩する。

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2016年8月27日 (土)

手術後3日目

  バッグ入り液状栄養食150ml、これが今夜の夕食である。300Kcal。これを鼻から管で胃に流し込む。その不自由さは経験してみないとわからない。その本人でさえ時が過ぎれば忘れる。しかしこの体験を記録しておくのだ。

  水曜日の手術から3日が過ぎた。きのう初めて鏡で縫合された傷跡を見た。無残なものである。看護師に傷跡はガーゼか何かで覆わないのかと尋ねたら覆わないと言う。がんの摘出部からは出血していてそれを管で吸い出す。前頸と後頸の二か所から。そのため首筋が引きつれて痛む。これが苦しい。それよりも気力が失せている。こうしてパソコンのキーボードを打つのもやっと。部屋では音がうるさく迷惑なので食堂でこれを打っている。

  手術は約3時間の予定が5時間くらいかかった。最初の予定は午前中だったが午後12時30分に手術室入り。それから麻酔をかけ覚めたのが5時過ぎ。入院した部屋からナースステーション近くの個室へ。そこで一泊。そこから4人部屋に移された。窓側の部屋で去年胃ガンで入院した病院の位置と同じ。そこより少し広い空間だ。

  築地の市場と隅田川が一望できる景観は心和む。ここまで書いて息が切れる。

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2016年8月23日 (火)

体験版医療の現在Ⅴ‐①

8月の膀胱がんの手術からひと月も経たないうちに今度は下咽頭がんの手術である。昨年9月18日に胃ガンの手術。何と1年経たないうちに3度のガンの手術というのは珍しいだろう。病室のある14階の〝食堂〟からは築地の市場が一望できる。前の職場で縁あった場所だ。そこを一望できるのも此の世の縁というものだ。さきほどは明日の手術の執刀医がスタッフとあいさつに来た。後でまた手術の説明に来る。その前には麻酔科の医師もきた。

この病院は築地の市場と河口が一望できる景色が眺められるだけでも価値がある。夕食ののおかずのにおいがしてきた。肉ジャガか。そういえば昨夜の日課の犬たちの散歩道にはジャガイモ畑があり犬たちの臨時の餌場になっている。空は晴れていたが遠くで稲光もして幻想的な雲が闇夜に瞬間現出し不可思議な時が過ぎた。きょうは台風一過だが快晴というわけでもない。灯りのない屋形船が川を上っていく。あぁ、何と静かな時が過ぎていくことか。明日は痛みでそれどころでないだろうが。

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奇妙な符合

 本日、昨年から四度目の入院。今回は約1カ月の入院期間となる。本やCDも準備した。入院には住民票も必要ということで市役所に行く。行きは歩いて行ったが戻りはバスで。キャリーケースとリュックサックを背負い体力の消耗を避けるため。とにかく通常の動きを意識的にゆっくりする。地下鉄で築地まで。途中で読みさしの本に目を通す。その一文に奇妙な符合を看取した。引用して入院を契機にさらに熟考、考察していきたい。
 従ってプラトンの二つの探究の決定的な箇所において(洞窟の比喩の場合には最初の文章において、ここ『テアイテトス』においては最終部で)、(ギリシア語)<構エ>が論じられたのは偶然ではない。(ギリシア語)<構エ>とは、有るものへの、従って真なるものへの固有の構えに基づいて、人間が自ら引き受ける人間の関わり合いである。我々はそこから一つのことを読み取る。つまり有への問いも真理(非秘蔵性)への問いも、即ち同時に有への志向と開蔵性との生起の内的な統一への問いは、人間自身への問いである、ということである。この人間自身への問いは、完全に一定の方向に定められてお り、完全に一定の仕方で人間の力を要求する。人間への問いによって人間は、彼の小さな自我とその偶然性、貧弱さ、困窮に縛りつけられているのでは決してない。そうではなく、この問いにおいて、人間の本質根拠の、つまり彼の現有の拡がりと根源性が、全体としての有るものへの関わり合いに対して開かれる。そしてこの有るものの不気味さに関して或ることを我々は予感するのである。(ギリシア語)<多クノ不気味ナモノガアル、シカシ、人間ヨリ不気味ナモノハナイ>
 アカショウビンの残された時の間に、このような思索にどれだけ深く切り込み、共振し、何事かを会得できるか、そこが急所だ。先ほど病院に到着し手続きを済ませ病室へ。14階で築地市場が一望できる。サラリーマンのころは仕事でよく通った。しかしこのような眺望で見渡すのは初めて。これも入院のおかげ。これからCT検査。この不気味な生き物は手術でさらに不気味さを増すのか、それとも不気味さと反対の方向の通路を見出だすのか。体験、経験と共に思索を続けよう。

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2016年8月13日 (土)

無明から薄明へ

 予定していたアルバイトが連絡行き違いで仕事なし。しかし病み上がりで、軽作業とはいえ些かきつい作業でもあり、反って休養になり幸い。図書館で読書に専念しよう。
 パソコンの電源不良でブログの更新がままならない。いっそ買い替えようかと思うがアルバイトの身で出費は押さえなければならない。予備で買ってあるタブレットパソコンにはなかなか慣れない。困ったものである。
 それにしても、現在の我が身と身の回りの現状を仏教的に文字にすれば表題の如きものと心得る。煩悩から如何に脱却するか。そこが急所だ。しかし凡愚の我が身にそれは至難の困難極まる修行とも言える。煩悩即菩提は仏教哲学の説くところだが果たして無明はいつか薄明に至り、悟りに達することがあるのだろうか。

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2016年8月11日 (木)

私が生存する世界

 何と45年か46年ぶりに『ジョニーは戦場に行った』という映画を観た。きのう市立図書館へ行き係の女性に、ものは試しと、こういう作品はDVDかビデオでありますか、と尋ねると検索して、あると言う。レーザーディスクで残っていた。予約制で夕方まで時間があったので監督のダルトン・トランボの伝記・作品論の本にも目を通した。その著者は同作には辛口の評価だった。
 それはともかく、映像に集中した。冒頭は真っ暗な画面に微かな声だけが聞こえる。それから第一次世界大戦の記録映像。それも含めて40余年の間に記憶はすっかり失せていた。画質は酷く劣化していたが鑑賞できないほどではない。観終わって、やはりこれは苛烈で監督の強烈なメッセージが叩き込まれた完成度はもの足りないけれども、人間という生き物がこの惑星で、どのような生き方と死に方をしたのか、という事を伝える佳作だと実感した。戦場で負傷し辛うじて一命はとりとめたものの手足はなく顎も無くし話すこともできない若い兵士が意識だけは保持し生きながらえている。そのような極限状況で生きて存在している。そのような世界とは何か、という問いが立ち上がる。
 その前に同監督が脚本を書き10数年ぶりに作品クレジットに名前が出た曰く付きの「スパルタカス」をこれはレンタルDVDで熟視した。作品としては巨費を投じたB級大作である。監督はスタンリー・キューブリック。後に、あれは私の作品ではない、と語ったらしい。しかし後の作品を想像させるカットは幾つか確認できる。例えば、「バリー・リンドン」の戦場の会戦シーン。しかし3時間以上の長尺で集中力を持続するのは難しい。しかしDVDなら映像を止めて繰り返し観ることができる。「ジョニーは~」でそれができなかったのは残念。機械を自分では操作できないシステムなのである。いずれDVDになってないか探してみよう。
 それにしても、現在の我が身を鑑み、このような映像を観てつらつら考える事は、我が身が存在しているこの世界とは何か、という古くて常に新しく立ち上がる問いである。

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2016年8月 7日 (日)

痛みについて

 手術後の排尿時の痛み、痛さは尋常ではなかった。それは言葉、文字では近い表現はできるかもしれないが体験、経験の個別性はなかなか伝えられるものではないと思う。激痛という漢語でもそれは十分ではない。それは声をあげずにはいられないものだ。喉を通して叫ぶ、おらぶという和語が近い表現かもしれない。絶叫とも違う。腹の奥から振り絞り外へ出さないと我慢できないような痛みと言えばわかっていただけるだろうか。しかし、それはあくまで個別的なものであるに違いない。

 特に男にとってチンチンは大事である。その痛みはまったく筆舌に尽くしがたい。そこで想い起こされたのがかつて中国の政治制度の中で機能していた宦官である。高校の時に漢文の教師が説明してくれたのが未だにその情景が脳裏に浮かぶ。高校生の男子には性の問題と同じように自分のチンチン(肉茎・ペニス)に関わる問題は切実だ。中国で司馬遷は「生き恥晒した男」である。宮刑という刑が他国にどれくらいあるか詳らかにしない。しかし男にとっては究極の辱めで恐ろしい刑であることは同意していただけるだろう。

 手術前にネットで膀胱ガン手術の概要を調べながら、そのような事がアレコレ脳裏を過ぎったのである。その痛みも今は忘れている。かつて映画監督、小津安二郎が胃ガンで入院していた時に「痛みは数値化できないからね」と語ったことが伝えられているが至言だと思う。

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2016年8月 5日 (金)

蝉時雨

 本日、退院する。月曜に入院し、火曜日の午前9時に手術。4泊5日の入院だった。去年の入院中によく訪れた病院敷地内の小さな公園まで歩いた。草木は萌え蝉時雨が心地好い。揚羽蝶がゆらゆらと飛び、蝉が忙しなく飛ぶ。夏の暑熱が生の息吹を励起するかの如く。もう少し生きねばならぬ。

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2016年8月 2日 (火)

体験版 医療の現在Ⅳ-④

  きのう入院してから何をするでもなくベッドでうとうとして夕方になった。食事は昼と夕方に出た。夜に本を読んでいたら眠くなり夜中に目が覚めた。昨夜からきょうの9時に行われる手術のため水も飲食もとれない。そこで持参した本を読みCDを聴く。シェーバーで髯を剃り、外の景色を眺めに部屋の外へ。空は曇り小雨が窓を濡らしている。晴れていれば富士山も眺められるという眺望だ。遠く、5月まで棲んでいた埼玉の方へも視界は開いている。昨年は5階だったが今回は14階。都心の風景は一望千里とも言える。

 6時過ぎに部屋は外の光で既に明るいが蛍光灯が点く。午後10時消灯、午前6時起床、検温。看護師さんが来て体温と血圧を測る。体温36度6分、血圧140~86。4人部屋には未だ3人のみ。先に入院していた北関東訛りの男は手術の傷口が痛むと看護師に話している。昨夜は鼾も幽かに聞こえた。昨年の隣のベッドの紳士の御老人の鼾はたまらなかった。それからすれば殆ど気にもならないくらいのものだ。

 きのうの夕方、主治医とスタッフがあいさつにきた。小柄なK医師が若い男たちを従えた、なかなか絵になるチームと思えた。この連中なら任せてもいいか、という気持ちにさせられた。結果は如何に。手術後24時間以内に抗がん剤を膀胱に注入するという。ドキソルビシン塩酸塩という名称。抗がん剤には俄か勉強の知識で抵抗感がある。下咽頭がんの治療方針についてもセカンド・オピニオンで医師とあれこれ話した。結局、放射線・抗がん剤治療でなく外科手術を選択したものの、それが膀胱がん治療では内視鏡手術にも関わらず殆ど強制的に抗がん剤を使うというのは如何なものか。それは手術後に確認せねばならない。

 それはともかく、夜中に起きて暇つぶしに持って来た本を読みだした。それはこの20年近く読み続け、時に深く考え込まされてきた、私という存在とは何で、それが死ぬべき生き物であるということはどういうことか、ということについてまったく通常の思考とは異なるところから思索を深めている本である。それが何という本かということはこの際どうでもよい。アカショウビンが昨年に続き同じ病院で異なる部位のガンの手術を受け、そのあとには別の部位のがんの手術が予定されていることは既に死への通常の人たちとは異なる、それほど残された時間の少ない死への途上にあるということである。それを日常で時に忘れ、まだ時間はあるのではないか、という気分にもなるのは恐らく錯覚である。それは現代医療からすれば容易い事実誤認と指摘されることだろう。三つのガンを抱え、どれほど生きる時間があるのか現代の医療・治療学からすれば相当に正確な余命が割り出せることだろう。それはしかしアカショウビンにとって、このブログで繰り返し考察し記しているように余命の問題ではなく、生き方と死に方の問題なのである。それを繰り返すことは避けよう。そして手術を終え生還でき、退屈な日常に戻れれば、生きている限り、またあらためて考えていかねばならぬ問いである。

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2016年8月 1日 (月)

体験版 医療の現在Ⅳ-③

 本日から昨年の夏以来再々入院。明日は二度目の手術である。今回は膀胱ガンの。正確には表在性膀胱ガンの経尿道的膀胱腫瘍切除術。先に行った尿道からの内視鏡検査で局部麻酔による痛みと恐怖がたまらず、通常は腰椎麻酔で行うところを全身麻酔にしてもらった。アルコールと女に弱いが、痛みと恐怖にも弱いアカショウビンなのである。

 早ければ二泊三日で退院できるというが昨年の例もある。6月に胃ガンが発覚。7月に検査入院。念のためセカンド・オピニオンで都内の病院を訪れ、そこで手術することに決めた。埼玉の市立病院では胃の全摘という判断だったが、こちらでは腹腔鏡下手術で胃を半分摘出するだけで済むという。入院期間は全摘だと約一ヵ月だがそれだと身体への負担が少なく二週間で済む。ところが結果的に何と46日もかかった。それはともかく、手術の結果と術後の経過は引き続きレポートしていく。ガン体験者も、健常者というのか最近は未病という用語も普及しているようだがこれから罹患するだろう皆さんも含めて多くの方々に参考になると思う。

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