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2016年8月 2日 (火)

体験版 医療の現在Ⅳ-④

  きのう入院してから何をするでもなくベッドでうとうとして夕方になった。食事は昼と夕方に出た。夜に本を読んでいたら眠くなり夜中に目が覚めた。昨夜からきょうの9時に行われる手術のため水も飲食もとれない。そこで持参した本を読みCDを聴く。シェーバーで髯を剃り、外の景色を眺めに部屋の外へ。空は曇り小雨が窓を濡らしている。晴れていれば富士山も眺められるという眺望だ。遠く、5月まで棲んでいた埼玉の方へも視界は開いている。昨年は5階だったが今回は14階。都心の風景は一望千里とも言える。

 6時過ぎに部屋は外の光で既に明るいが蛍光灯が点く。午後10時消灯、午前6時起床、検温。看護師さんが来て体温と血圧を測る。体温36度6分、血圧140~86。4人部屋には未だ3人のみ。先に入院していた北関東訛りの男は手術の傷口が痛むと看護師に話している。昨夜は鼾も幽かに聞こえた。昨年の隣のベッドの紳士の御老人の鼾はたまらなかった。それからすれば殆ど気にもならないくらいのものだ。

 きのうの夕方、主治医とスタッフがあいさつにきた。小柄なK医師が若い男たちを従えた、なかなか絵になるチームと思えた。この連中なら任せてもいいか、という気持ちにさせられた。結果は如何に。手術後24時間以内に抗がん剤を膀胱に注入するという。ドキソルビシン塩酸塩という名称。抗がん剤には俄か勉強の知識で抵抗感がある。下咽頭がんの治療方針についてもセカンド・オピニオンで医師とあれこれ話した。結局、放射線・抗がん剤治療でなく外科手術を選択したものの、それが膀胱がん治療では内視鏡手術にも関わらず殆ど強制的に抗がん剤を使うというのは如何なものか。それは手術後に確認せねばならない。

 それはともかく、夜中に起きて暇つぶしに持って来た本を読みだした。それはこの20年近く読み続け、時に深く考え込まされてきた、私という存在とは何で、それが死ぬべき生き物であるということはどういうことか、ということについてまったく通常の思考とは異なるところから思索を深めている本である。それが何という本かということはこの際どうでもよい。アカショウビンが昨年に続き同じ病院で異なる部位のガンの手術を受け、そのあとには別の部位のがんの手術が予定されていることは既に死への通常の人たちとは異なる、それほど残された時間の少ない死への途上にあるということである。それを日常で時に忘れ、まだ時間はあるのではないか、という気分にもなるのは恐らく錯覚である。それは現代医療からすれば容易い事実誤認と指摘されることだろう。三つのガンを抱え、どれほど生きる時間があるのか現代の医療・治療学からすれば相当に正確な余命が割り出せることだろう。それはしかしアカショウビンにとって、このブログで繰り返し考察し記しているように余命の問題ではなく、生き方と死に方の問題なのである。それを繰り返すことは避けよう。そして手術を終え生還でき、退屈な日常に戻れれば、生きている限り、またあらためて考えていかねばならぬ問いである。

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