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2016年6月 8日 (水)

アポパンティコス

 アポパンティコスとは古代ギリシア語の形容詞で、「何かそれ自身のほうからとり集めて前におくはたらきのこと」とハイデッガーは説明している。1957年のフライブルク講演の第2講演「思考の根本命題」で(2003年2月25日 創文社全集第79巻p129 森一郎訳)。それはロゴスというギリシア語の根本的な意味を説明する過程で論じられる。それはまたアリストテレスを熟読し西洋哲学の淵源から近代に至る視野の内で思索されるハイデッガー哲学の本質と関わる考察でもある。ハイデッガーは「ロゴスとはアポパンティコスであるかぎりは、何かを出現させることができるような、とり集めて前に置くはたらきのことなのである」(同書)と説明する。また次のようにも。「アポパンティコスという形容詞は、何かそれ自身のほうから現出させる能力がある、という意味である」。さらに、それはほとんど翻訳不可能であり、強いて訳せ(ドイツ語に)ば、「現前的にあり続けるものをそれ自身のほうから輝かせる、とでもするほかない」と述べる。そしてロゴス・アポパンティコスとは明示化(Darlegung)という訳語を提案する。「ただしその場合われわれは、明示して‐そこに現に<Dar-legen>という語のうちに、ギリシア語のレゲインの、顕れているものを前に横たわせる、という意味を同時に聞きとらねばならない(同書p130)、と述べる。このハイデッガーの言説・論説の音楽的に言えば通奏低音ともいうべき主張は現在のわれわれが熟考しなければならない内容を秘めている。その一端はこのブログで継続しているが十全ではないことは言うまでもない。

 それにしても、ここにはハイデッガーが主著『存在と時間』から一貫して思索、考察している、古代ギリシア人たちは、眼で物を考えていた、「すなわちまなざしによって思考していた」(同書p130)という強い主張が込められている。それは現代の私たちはまなざしによってではなく頭で思考している、とするハイデッガー哲学の基軸が明確に持続されている。このような戦後の講演でハイデッガーが『存在と時間』以来の思索の継続を聴衆に伝えているのを読むことは現在の様々な事象と照らし合わせて面白い。

 それは広くは現今の国際政治と諸外国の人々の現状、主張と、狭くは我が国の政治状況、マスコミを介して伝えられる現実や我が身の現実とも呼応する。アカショウビンの現実について少し伝えておけば、先日の尿道膀胱鏡検査で膀胱癌に侵されていることが発覚した。昨年の胃癌手術、今年3月の下咽頭癌の発覚に続き我が身は三つの癌に侵されているわけだ。もっとも癌とは悪性新生物という概念規定だから「新生物」との同居とも言える。その説明を拡げれば、人間の身体には膨大な微生物が生きているのだから、新たな新生物との同居とも理解されるわけだ。ともかく先月来の血尿の原因がわかったことだけでも新たな対応ができる。主治医はさっそく7月の手術を予定した。それと併せて下咽頭癌の治療も進めなければならない。こちらは既に喉のリンパ節への転移も一ヵ所確認されている。

 かような現実でアカショウビンの生活は継続されている。病理学的には余命の概算もできることだろう。しかし寿命は神のみぞしる領域ともいえる。残された時をどのように生きるかは本人の意思と意志による。

 先日、病院に行った帰りに神田の古本屋街に立ち寄り数冊古本を買い求めた。そのうち「『正法眼蔵随聞記』の世界」(1992年 大蔵出版)も興味深く読んでいる。著者は水野弥穂子さん。『正法眼蔵随聞記』の翻訳者の一人だ。岩波書店の『道元』の注釈者の一人でもある。翻訳過程の御苦労や出典資料に対する造詣の深さが知られ学ぶことは実に多い。

 新たな環境の生活で先日は同居人のご配慮で砧公園を散策した。退職した会社の仕事で近くには何度も足を運んでいたが訪れるのは初めて。聞けば女優の八千草薫さんもお見かけするという。しかし想像していた規模と大きく異なりその広大さと樹木、木々の偉容に感銘した。雨模様で来園者が少なくゆっくり散策できたのも幸いだった。樫や檜、桜などの巨木の間を歩く悦びは筆舌に尽くしがたい。病を気遣う同居人の配慮と併せて、此の世に棲む楽しみと奇遇に感謝し冥土の旅支度を粛々と進めよう。

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