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2016年6月11日 (土)

深淵へ跳躍する

 先のフライブルクでの第2講演「思考の根本命題」の最後のところでハイデッガーは思考の根本命題を、次の第3講演の準備とするべく論理学の同一性命題を介し〝跳躍〟と解き明かす。「命題は跳躍<Sprung>となる。根本-定立とは、いかなる根拠も置き去りにして思考の没根拠の深淵へと飛び込む跳躍なのである」(p134)。

 ここで読者はベルクソンの「生の跳躍」という用語なども連想するだろう。それはともかく、聴衆それぞれの理解に配慮してか、次のように言葉を足す。

 「深淵への跳躍という言い方は、ただちに次のような印象を、つまり問題となっているのは、とりわけて深遠でおどろおどろしく、破壊的でさえあるようなもくろみなのだ、との印象を呼び起こす。しかしながら、深淵への跳躍という言い方が言わんとしている事柄は、なるほどわれわれの意識をすっかり変えはするが、なにやら混濁した朦朧状態へ押し込めるなどということはありえない。跳躍という言葉でもって意図されているのは、現代を世界史的に規定している思考が変革される、ということなのである。そのような変革がそもそもいつか起こりうるとすれば、そのためには、計算的思考となり果てている思考から離脱して跳躍することが必要である」(同書p135~136)。

 ハイデッガーが嫌悪する〝計算的思考〟から離脱、跳躍し人はその跳躍の仕方と行き先を決めなければならないが、それは人知を超えている。人ができるのはその準備だけだ、というのがハイデッガーの洞察である。それを次のように述べる。

 「この準備の要所は、われわれの思考にそれが離脱して跳躍するまで同行することにある。これは、極めて冷静<nuchtern>な任務である。ドイツ語でニュヒテルンとは、しらふ、つまり酒抜きという意味である。気の抜けた、とまではいわないが。ニュヒテルンというドイツ語はラテン語のノクトゥルヌス<nocturnus>が語源であり、つまり、夜の、という意味から来ている。いわば夜想曲<Nocturno>が、思考の根本-定立、すなわち思考がその没根拠の深淵へ跳躍すること、を準備するに当たっては問題となる。ここでの深淵とは、上述のとおり、思考にとっての没根拠の深淵、つまり、思考が変容をとげつつおのれに割り当てられた領域をそこに見いだす当の場にほかならない。だが、この没根拠の深淵は、われわれ死すべきものどもの近くにある。おそらく、われわれが思っている以上に。」

 このあとヘルダーリンの詩を引用して次のように述べるところが何ともハイデッガーだ。

 「よくよく注意しよう。死すべきものどもこそ、没根拠の深淵のほとりにまず到達するのである。つまり、死という山脈に住み、それゆえ死ぬことのできるわれわれ人間が、である。動物は死ぬことができない。生を終えるのみである。このことと、動物が物を考えられないこととは連関していよう。思考は、死との選択的親和性から生を享けている。」(同書p136~p137)

 このような戦後のハイデッガーの思索を神秘主義などという揶揄と混同してはならない。

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