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2016年6月28日 (火)

顧眄す

 水野弥穂子さんは、道元の在俗の仏弟子・女性参学者、了然道者のことを、先日神田の古本屋で購入した「『正法眼蔵随聞記』の世界」で取りあげておられる。了然は道元より早く死んだ。道元は彼女に二つの法語を与えている。水野さんは了然という名が中国由来のものであることを説明し「永平広録」の偈を引く。

 廓然無聖(かくねんむしょう)、硬き(かたき)こと鉄の如し

 試みに紅炉に点ずれば銷(き)ゆること雪に似たり。

 更に問ふ、今何(いずれ)の処(ところ)にか帰り去る。

 碧波(へきは)深き処、何(いか)なる月をか看る。

 水野さんは、了然が亡くなるとき「終焉の語」を残して道元のところまで持って行かせたようです、と書いている。偈には由来があり道元はそれを踏まえている。「鉄の如し」とは『天聖広燈録』を撰した李遵勗(じゅんきょく)の悟道の偈、

 参禅は須(すべから)く是れ鉄漢なるべし、

 手を心頭に著(つ)けて便(すなわち)ち判ぜよ。

 直趣無上菩提、

 一切是非莫管。

 の「鉄漢」が下敷きになっていると思われます、と書いておられる。

 さらに――了然道者の座禅は達磨の廓然無聖のように全くの無所得の行であり、李遵勗の鉄漢のように不動のものであった、と訳されている。

 今、終焉の日を迎えて紅炉に投じてみると雪が銷えるようにさっぱりと消えていった。それでは、了然道者の正体は、今、どこに行ったのかと尋ねれば、碧々(あおあお)と深い波のうねる仏性海の底深く、どんな月を看ていることか。

 この「さっぱりと」という訳にアカショウビンは了然という女性の生き様の見事さを看取する。水野さんは「何なる月」とは、真如の月と説き、道元のもう一首を引く。

 爍破(しゃくは)す従来一版の鉄、

 落処を知ること莫し六華の雪。

 天辺の玉兎潭底(たんてい)に落つ、

 指折(ししゃく)して如何(いかん)が未だ月を見ざらん。

 この訳は次の通り。

 ――従来(これまで)、座禅で練り上げた一枚の鉄のような身は、命が終ると共に六弁の雪の結晶が天から降ってどこに落ちるかわからないように消えていった。

 天上界の月の中に棲んでいる玉兎が深い潭(ふち)の底に落ちてきたようなものである。指を折って掌(たなごころ)をさすように、どうして真如の月を見ないことがあろうか。(今はじっくりと、真如の月と対面していることであろう)

 道元が説き実践した座禅とは正にこのような仏法である。それを改めて骨肉に叩き込む気迫で道元は読まねばならぬ。道元の周辺の人々を、このように解き明かした水野さんの成果を私たちは受け継ぎ『正法眼蔵』を読み継ぐ。それは娑婆で過ごす悦ばしい時である。

 とりあえず再読したいのは「行持」だ。道元が弟子の了然の名前を中国の祖師たちのなかでも数少ない女性の得法者の名から取っていることを説明するなかで水野さんは道元の「山僧已むことを獲(え)ず、了然道者が志道の切なることを顧眄(こめん)す」と言ったことを引く。

 「顧眄」とは、ちらとこちらを見ることです。達磨大師のところに法を求めた二祖が、雪の中に立ってお願いしても、達磨大師は「顧眄せざるがごとし」――振りかえってそちらを見ることもしなかった――と、「行持」に巻に書いておられるその「顧眄」です。(同書p262)

 禅とは何か、とは道元を読むときに鈴木大拙の禅との異同を思案するなかで生じる問いである。それは手に余る。しかし道元の一言一句にはその回答が散りばめられている。それに接することは現在の生に新たな活力を得ることでもある。

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