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2016年5月 4日 (水)

縁起的存在論による転居体験

 大阪から北関東のK市に引っ越したのは6年前。このほど、天から降ってきたような不可思議なご縁で都下のM市に転居することになった。昨年3月末で前職を退職。その後、体調不良により市立病院で診てもらうと早期胃ガン。すぐに入院して手術という診断。胃を全摘という。7月1日から2週間の検査入院。その後、セカンド・オピニオンを行い都内の病院で全摘でなく腹腔鏡下手術で胃を半分切除した。入院中の状況は記事で報告した。その後というより退職後に仕事も決まらず治療費にも困り経済的に土壇場に立ち至った。その一連の事情を知った読者の方から助け舟が出された。その方のご事情もあり、ご提案のハウス・シェア(二階建て一軒家の上下で)することになった次第。

 5月1日に友人たちにお手伝いをお願いしレンタ・トラックで転居した。まだ全部荷物を移動したわけではないが寝泊まりは新居でしている。それにしても降って湧いた話とはこのようなことをいうのであろう。まるで、その方が観音か阿弥陀如来のようにアカショウビンのところへやって来られて、こちらへ、と手を差し伸べられたようだった。

 その方とは、このブログが縁となっている。もうかれこれ7~8年になるだろうか。美術家であられるその方が作品を出品されている展覧会に友人と出かけたことがある。以来、ネット上で記事を介して間歇的に遣り取りを続けてきた。ところが、今回のような事情で再びお会いし同居することになろうとは夢にも思わない出来事だった。仏教でいえば不可思議な縁(えにし)ということであろう。

 表題の縁起的存在論に学問的根拠はない。アカショウビンの造語である。しかし西洋哲学で論じられる存在論には関係性を論じる領域もあるであろう。そこには仏教哲学で論じる縁起説が絡められるのではないか。それは存在論に新たな光を射せるのではないか。この数日、引っ越しの作業に忙殺されながら、そのようなこともボンヤリ考えていた。既にアカショウビンの余命はガンの進行で壮健な人からすれば限られている。半年か、一年、二年、それは神のみぞ知るであるが現代医療の限界は周知の通り。既に下咽頭ガンも発症している。あとは手術、治療による延命策である。それは死を覚悟せよということである。存在論には死の先駆的覚悟という考察領域がある。それは仏教哲学の縁起説、死生観とも関係してくる。その可能性を探ることはアカショウビンの余生の楽しみともいえる。

 引っ越しで新たな出会いと発見があるだろう。そこで我が身の娑婆での生を少しでも意義あるものにする。そのささやかな努力と病に対する抵抗だけは継続しよう。

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