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2016年5月28日 (土)

「持ち重り」と「しっとりとした豊かさ」

 先のブログで小澤征爾氏のベルリンコンサートの村上春樹氏のレポートの感想を書いた。その月刊誌には渡辺京二氏の熊本地震体験記も掲載されていた。しかし立ち読みでは読めなかった。そこで昨日、市立図書館へ行きカード発行の手続きをしたあとで読むことができた。無職の身に同誌は高価なのである。

 その文章で氏は「文明とは善きものだが、今回の災害を待つまでもなく持ち重りのするものなのだ」と書いておられる。それまでの氏の日常はツキュディデースを読む日々であられたらしい。表記は教科書などではツキディデス、ツキジデス、トゥキディデスではなかったか。おそらくギリシア語の音に近い表記なのだろう。そして「実はこういう虚無に面するのも悪くはない。それに面してこそ凡庸な言い草だが、人との交わりの真価が姿を現わす」と記す。文章を読むとそれは実に驚天動地の地震で生涯で二度目に体験する驚愕であった(取意)と述懐しておられる。巨大な蔵書の本棚が倒れその間で九死に一生を得たようなのである。それを虚無と振り返るのが氏らしい。その最初の体験が先の大戦の敗戦を大陸で迎え日本に帰国した時の騒然とした中での経験いらいというのも。そこから氏は江戸期いらいの日本の歴史を世界的な一つの文明として戦後の論考を刊行された。アカショウビンの読んだのはその一部であるが記述と構想、考証の正確さは熟考に値する。

 またその後には姜尚中(カンサンジュン)氏の寄稿も読むことができた。氏はたまたま仕事で熊本に滞在しており地震の体験を「大砲の弾が当たったような衝撃で目覚め」と書いておられる。氏は今年1月から地元劇場の館長を務めておられ、前日までは阪神大震災の教訓を取材するため、神戸市長田区や淡路島を歩いておられたという。それも不可思議な縁のように思われる。そして文章の中で熊本と比べて「巨大な配電盤のような東京」という比喩を使っておられる。誠に東京は日本の、世界の中の一つの配電盤のように思える。宇宙ステーションから眺める地球の夜の大都市はそのようであるのではないか。そして故郷・熊本の幕末・維新以後の歴史を辿り、次のように記す。

 ―九州の中心として近代を支えた行政機能も戦後は大半が福岡に移り、かつての求心力を失いました。

 渡辺氏の著書でも姜氏と同じく近代への視角が歴史を見晴るかす射程で論じられている。それは戦後のハイデガーが戦前、戦中からの思索をさらに深化させた論考と呼応している。ハイデガーは大戦後に起きた中国の大災害で亡くなった人々の死に対し、それは「よく死ぬ死に方ではない。死とは存在を耐え抜き迎えるもの」と思索、考察している。それは熊本地震の死者たちにも当て嵌まる。突然の災害による耐え抜くことなく死ぬ死に方だ、それは。その生死の狭間とはいったい何か?いわゆる運命か?宿命か?それはまた不条理でもあるか?その出来事の不如意を私たちは如何に思索できるのか。そこで人は自らの無力、非力を感得する。そこでどう行動するのか。そこでも生き残った人々の行動、振る舞いが問われる。それを渡辺氏は〝私には友がいた〟というサブタイトルで伝える。また石牟礼道子さんの動向も書かれ、お二人を友人たちが迅速な手配で救済された様子が記されていた。

 また二つの故国をもつ姜氏は〝愛国者と愛郷者〟という中見出しで書いておられる。パトリオットという外来語には二つの意味がある。愛国者と愛郷者である。氏は氏に向けられたヘイト・スピーチのごとき侮辱にその意味を返し同郷者のヴァナキュラー(土発的な)という語で民族は異なっても同じ親愛の情で連携する友人、知人の気持ちに共感する。アカショウビンの故郷に対する気持ちもまったく同様だ。そして氏は七年前のご長男の自死を経て故郷・熊本へ次のように書き文章を結ぶ。

 ―熊本は下り坂の時代に突入することになるかもしれません。しかし、それは荒廃を意味しません。光や明るさだけを目指す上り坂が幸せに通じるという、現代人の拭いがたい「妄信」から決別するべく、歩を進める。その先には落ち着いた、しっとりとした豊かさがあるはずです。

 両レポートは昨日の日米首脳のスピーチとも呼応する。それは為政者たちと思索者たちとの言説・論説の違和となって現れる。大戦後の原子力・核兵器下の世界の負わされた危機を政治屋たちは科学者・哲学者たちの警告を黙殺し冷笑するかのような過程を経て現在に至っている。それをマキャベリズムで冷やかに眺めるだけでは現実は動かない。ヒロシマ、ナガサキの悲劇はギリシアの舞台でなく東洋の島国で現実化したのだ。その世界史的位置づけに我々日本人、日本国民は鈍感ではあってはならない。

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