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2016年5月30日 (月)

体験版 医療の現在Ⅳ-②ペット検査を体験する

 先月から血尿が続き昨年胃ガンを手術した都内の病院をその後の下咽頭ガンの治療計画で訪れた時に腎泌尿器外科(この病院ではこの科)を予約。〝ファースト・コンタクト〟と担当医師の女医さんは話し診察もせず内視鏡検査の予約だけ入れた。〝診察〟は以前に撮ったCT映像を見て所見を述べただけ。まぁ、「緊急性はない」ということなのだろう。しかし頻繁に続いた血尿が緊急性がないとは思えぬが、その後さいわい本日まで数日、血尿は止んでいる。内視鏡検査は来週の月曜だが、それまで再度血尿だけは勘弁してもらいたいものだが。

 とりあえず本日は先日予約したペット検査を済ませて来た。あいにくの雨の中、午前9時の予約で30分前に病院に到着。地下の検査室へ。左手人差し指から採血し血糖値を調べたあと点滴からブドウ糖液を注入。そのあと検査室へ。CT検査と同じような装置で二回に分けて行う。一回は30分足らずで終わる。その間、約50分の休憩。11時20分過ぎに終了した。結果は明後日。

 これで約10万円(保険なしの場合)である。高いのか安いのかわからない。しかし10年くらい前は100万円くらいかかったのではなかったか。それでもガン検査には〝画期的〟として話題になっていたはずだ。この検査を決めたのは先に書いた耳鼻咽喉科の主治医。あまり信用はしていない。腎泌尿器外科の女医は彼に気をつかうのか一歩引いた話しぶりだったのは患者本位ではない。かようにこの病院の応対には昨年の入院、手術後の応対で信用していないことは再度記しておく。治療費は国保で2万8千340円也。無職の身には何とも堪える医療費である。

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2016年5月28日 (土)

「持ち重り」と「しっとりとした豊かさ」

 先のブログで小澤征爾氏のベルリンコンサートの村上春樹氏のレポートの感想を書いた。その月刊誌には渡辺京二氏の熊本地震体験記も掲載されていた。しかし立ち読みでは読めなかった。そこで昨日、市立図書館へ行きカード発行の手続きをしたあとで読むことができた。無職の身に同誌は高価なのである。

 その文章で氏は「文明とは善きものだが、今回の災害を待つまでもなく持ち重りのするものなのだ」と書いておられる。それまでの氏の日常はツキュディデースを読む日々であられたらしい。表記は教科書などではツキディデス、ツキジデス、トゥキディデスではなかったか。おそらくギリシア語の音に近い表記なのだろう。そして「実はこういう虚無に面するのも悪くはない。それに面してこそ凡庸な言い草だが、人との交わりの真価が姿を現わす」と記す。文章を読むとそれは実に驚天動地の地震で生涯で二度目に体験する驚愕であった(取意)と述懐しておられる。巨大な蔵書の本棚が倒れその間で九死に一生を得たようなのである。それを虚無と振り返るのが氏らしい。その最初の体験が先の大戦の敗戦を大陸で迎え日本に帰国した時の騒然とした中での経験いらいというのも。そこから氏は江戸期いらいの日本の歴史を世界的な一つの文明として戦後の論考を刊行された。アカショウビンの読んだのはその一部であるが記述と構想、考証の正確さは熟考に値する。

 またその後には姜尚中(カンサンジュン)氏の寄稿も読むことができた。氏はたまたま仕事で熊本に滞在しており地震の体験を「大砲の弾が当たったような衝撃で目覚め」と書いておられる。氏は今年1月から地元劇場の館長を務めておられ、前日までは阪神大震災の教訓を取材するため、神戸市長田区や淡路島を歩いておられたという。それも不可思議な縁のように思われる。そして文章の中で熊本と比べて「巨大な配電盤のような東京」という比喩を使っておられる。誠に東京は日本の、世界の中の一つの配電盤のように思える。宇宙ステーションから眺める地球の夜の大都市はそのようであるのではないか。そして故郷・熊本の幕末・維新以後の歴史を辿り、次のように記す。

 ―九州の中心として近代を支えた行政機能も戦後は大半が福岡に移り、かつての求心力を失いました。

 渡辺氏の著書でも姜氏と同じく近代への視角が歴史を見晴るかす射程で論じられている。それは戦後のハイデガーが戦前、戦中からの思索をさらに深化させた論考と呼応している。ハイデガーは大戦後に起きた中国の大災害で亡くなった人々の死に対し、それは「よく死ぬ死に方ではない。死とは存在を耐え抜き迎えるもの」と思索、考察している。それは熊本地震の死者たちにも当て嵌まる。突然の災害による耐え抜くことなく死ぬ死に方だ、それは。その生死の狭間とはいったい何か?いわゆる運命か?宿命か?それはまた不条理でもあるか?その出来事の不如意を私たちは如何に思索できるのか。そこで人は自らの無力、非力を感得する。そこでどう行動するのか。そこでも生き残った人々の行動、振る舞いが問われる。それを渡辺氏は〝私には友がいた〟というサブタイトルで伝える。また石牟礼道子さんの動向も書かれ、お二人を友人たちが迅速な手配で救済された様子が記されていた。

 また二つの故国をもつ姜氏は〝愛国者と愛郷者〟という中見出しで書いておられる。パトリオットという外来語には二つの意味がある。愛国者と愛郷者である。氏は氏に向けられたヘイト・スピーチのごとき侮辱にその意味を返し同郷者のヴァナキュラー(土発的な)という語で民族は異なっても同じ親愛の情で連携する友人、知人の気持ちに共感する。アカショウビンの故郷に対する気持ちもまったく同様だ。そして氏は七年前のご長男の自死を経て故郷・熊本へ次のように書き文章を結ぶ。

 ―熊本は下り坂の時代に突入することになるかもしれません。しかし、それは荒廃を意味しません。光や明るさだけを目指す上り坂が幸せに通じるという、現代人の拭いがたい「妄信」から決別するべく、歩を進める。その先には落ち着いた、しっとりとした豊かさがあるはずです。

 両レポートは昨日の日米首脳のスピーチとも呼応する。それは為政者たちと思索者たちとの言説・論説の違和となって現れる。大戦後の原子力・核兵器下の世界の負わされた危機を政治屋たちは科学者・哲学者たちの警告を黙殺し冷笑するかのような過程を経て現在に至っている。それをマキャベリズムで冷やかに眺めるだけでは現実は動かない。ヒロシマ、ナガサキの悲劇はギリシアの舞台でなく東洋の島国で現実化したのだ。その世界史的位置づけに我々日本人、日本国民は鈍感ではあってはならない。

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2016年5月24日 (火)

つかの間の新しい環境でウィンナ・ワルツ

 引っ越しで時に鬱になることも。というより数日鬱である。それをいなすのは人それぞれ。アカショウビンの場合は音楽が抜群の効果あり。今朝は捨てられないレコードの中から古いモノラル録音のレコードを衝動的に聴く。録音年代不詳。クレメンス・クラウスがウィーン・フィルを振ったシュトラウス・ファミリー・コンサート第2集。音は悪い。というよりプレーヤーのセッティングが最良でない。家屋自体が傾いているのだろう。何度かの引っ越しで水準器が紛失している。レコード針も間に合わせ。針圧も正確でない。しかし音は出るのだ。一応は聴けるのである。鑑賞できる。

 久しぶりに聴くので曲目を記しておこう。

 ①喜歌劇「ジプシー男爵」―序曲②ポルカ「狩り」作品373③ワルツ「わが家で」作品361④ピチカート・ポルカ(ヨゼフの合作)⑤ポルカ「クラップフェンの森で」作品336

 これから2面。⑥ワルツ「春の声」作品410⑦ポルカ「観光列車」作品410⑧ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325⑨「常動曲」作品257

 ライナー・ノートは無署名。シリーズ物だから最初のレコードには記載されているのかもしれない。指揮者の生涯が記されている。ヨハン・シュトラウスⅡ世は1899年6月3日没。世界中から弔電が届き盛大な葬儀だったという。指揮者はそのとき6歳。音楽家の多い家系で8歳のときにウィーン少年合唱団に入っている。ウィーン音楽院を19歳で卒業してから歌劇場で指揮者、副指揮者を歴任。1922年、ウィーン国立歌劇場の副指揮者に就任している。1929年に歌劇場監督、1931年にウィーン・フィルの常任指揮者に。ところが1934年にウィーン・フィルの管理委員会と意見が合わず退任している。これは戦後ナチと弾劾された原因の一端が絡んでいるようにも思える。それはフルトヴェングラーと同じく戦後まで故国に留まったことからも推察できる。もちろんフルトヴェングラーはナチと対決もしたわけだが。現在のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの第一回は1945年、クラウスが指揮している。以後は外国への演奏旅行も多かったという。その途上で1954年メキシコ・シティで客演指揮中に心臓麻痺で倒れ5月16日61歳で亡くなった。

「春の声」には面白いエピソードが紹介されている。1883年2月、喜歌劇<愉快な戦争>を指揮するためハンガリーの首都ブタペストに滞在していたヨハン・シュトラウスは、ある晩餐会でフランツ・リストと同席した。このときシュトラウス57歳、老巨匠71歳。晩餐が終わり余興にリストが女主人と四手のピアノ曲を弾くと、その旋律に耳を澄ませていたシュトラウスは間もなく即興曲を作って披露した。これが後に作詞され当時の名ソプラノが歌い人気を集めたらしい。ベートーヴェンやシューベルト、モーツァルトが生きていた当時のウィーンもそうだったろう。

 このように大雑把に生涯を辿ると戦前からの戦後の歴史の一端が垣間見える。戦前の激動のヨーロッパで音楽を生業とし政治的な動きにも巻き込まれ立ちまわった筈だ。奇しくもフルトヴェングラーも同年に亡くなっている。シュトルム・ウント・ドランク。それ以降、音楽界も変わりながら変わらないものもある。クラシック音楽は絶滅危惧種と揶揄されながらもアカショウビンもつかの間の音楽を楽しめている。その幸いを大切にしよう。

 クラウスやフルトヴェングラーがヨーロッパで経験した戦前・戦中・戦後の激動は日本でも同じだ。戦争の災禍は所を変え世界中で起きている。それを超える災禍が起きる事を予測することはやさしい。しかし人間が生き延びる細い道は常に模索され不可思議に見出される。

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2016年5月22日 (日)

書評と演奏会レポート

 本日の東京新聞の書評欄に興味深い記事が掲載されていた。古橋信孝氏の「全南島論」(吉本隆明著 作品社)の書評。戦中派の吉本が戦後に活動を開始した途上から最後までの論考をまとめたものと思われる。アカショウビンが学生の頃に吉本の論考の中で特に関心をもったものに親鸞論と南島論がある。そのうち南島論についてはアカショウビンの故郷で戦後も暮したことのある島尾敏雄の小説作品、エッセイから発展したヤポネシア論が実に興味深かった。吉本の南島論も島尾の論考に触発、啓発されたものとして読んだ。吉本の場合には古典への踏み込み方が深く、それは折口信夫の研究をも視野に収めたもので吉本の思考の踏み込みが興味深々だった。その後も吉本は自らの南島論に考察を深めていたのだろう。その全部をアカショウビンは読んでいるわけではない。しかし両者の南島論は日本列島を広く見はるかす学者にはない独特の視角が面白かった。

 古橋氏は古典の優れた読み手である。「国家以前の共同体の歴史」という見出しで著作の感想を書いておられる。「吉本は(中略)国家に克つには国家以前の共同体を対置する以外ないと考え、『南島論』を書いたのだ」。「兄弟姉妹の関係のオナリ神信仰は家族の最も基層のものであり、その関係を基軸として親族が成立し、親族と家族の矛盾があらわれたとき、共同体が登場する。(段落)吉本は沖縄をたんに古層として掘り起こすだけでなく、歴史として位置づけているのだ。古層志向も結局現代を反対側から支える意味をもたされ、消費されてしまう。そこから逃れるにはこの歴史と全体知が唯一の方法ではないか。吉本は『南島論』の先に『アジア的段階』、『アフリカ的段階』という歴史を考えるようになっていった」として、氏は「現代の知の根源からの再考を迫ってくる」と結んでいる。「アフリカ的段階」は吉本が生きているときにアカショウビンも読んだ。吉本はそこで従来のヘーゲル哲学神話の一部を明確に批判した。しかしヘーゲルがまだ巨大な権威であるのは洋の東西を問わないだろう。それは後に続く者たちが新たな思想、哲学で乗り越えなければならない巨峰といえる。それはともかく、「全南島論」を通読してから感想を書いていきたい。

 南島論については村井紀氏の「新版 南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義」(岩波現代文庫 2004年5月18日)もかつて興味深く読んだ。ご関心のある方は一読をお奨めする。

 演奏会レポートは月刊誌に掲載された村上春樹氏のベルリンでの小澤征爾氏のベルリン・フィル指揮コンサートの報告である。それは小澤氏(以下、敬称は略させて頂く)を良く知る作家の文章として興味深く読んだ。選曲はモーツァルトの「グランパルティータ」、ベートーヴェンのエグモント序曲、合唱幻想曲。クラシック音楽ファンなら、この選曲を見てナルホドと思われる方もいらしゃるだろう。「合唱幻想曲」はたしか昨年、松本でマルタ・アルゲリッチがピアノを弾いて小澤が指揮したのをアカショウビンは友人が送ってくれた録画で見た。それは村上も書いているようになかなかの名演だった。今回はそのアルゲリッチが予定がつかず小澤の発案でピーター・ゼルキンが起用されたらしい。しかし、彼が不調でアルゲリッチの名演のようにはいかなかったことを村上は伝えている。しかしエグモントは熱狂的な歓呼で絶賛されたという。モーツァルトは指揮者なし。小澤の体調を考えればそれもやむなしということだろう。村上はベルリン・フィルの奏者たちに不満も述べていた。

 ベルリンの聴衆の感想として村上が伝えていたのはベルリン・フィルがカラヤン時代の響きを再現したというものだ。これにはアカショウビンは異論がある。小澤をカラヤンは確かに弟子と見ていた。それは小澤自身が話している。しかし小澤の師匠は齋藤秀雄である。指揮技術と音楽界での処世術はカラヤンが伝授したのかもしれない。小澤とカラヤンの演奏は似て非なるものというのがアカショウビンの考えだ。それは無味乾燥なカラヤンの演奏に対し小澤には情がある血の通った演奏であることからわかる。

 確かに指揮者などいなくてもベルリン・フィルやウィーン・フィルは勝手に自分たちの音楽が奏せるオーケストラだ。しかしオーケストラには指揮者という統率者がいるのも事実。器量の差はあれだ。カラヤン時代とは楽員も様変わりしたことだろう。カラヤン亡き後アバド、現在のラトルと代わり、それぞれの色が付けられている。その有数のオーケストラをドライブするには計り知れない実力が必要だ。それをもっともよく知っているのはベルリン・フィルの楽員と小澤自身だ。それは素人が入り込み、知る境地ではない。しかし、そこで何事かのコミュニケーションが交わされる。それはプロ同士の将棋や囲碁のタイトル戦の世界と似ているかもしれない。将棋も囲碁もパソコンソフトが一線級のプロを負かす時代だ。しかしオーケストラは人間たちが奏でるところに幾重にも味わいと深みが生じる。コンピューターには踏み込める世界とも思えない。もちろん異論がるのは承知のうえだ。しかし、かつて小澤が村上との対談で話していたコンピューター音楽への痛烈な批判はアカショウビンも同意するところだ。しかし生演奏に接する機会の少ないアカショウビンはCDやレコードで昔の演奏を繰り返し聴いて楽しむのが日常だ。これについてはどうか。それはアカショウビンも忸怩たる思いにかられるのだが、つまらない生演奏を聴かされるより往年の名盤を何十年かぶりで聴く楽しみもありなのだ。名演なんてそうそうあるものではない。しかし先日聴いた新日本フィルを指揮した準・メルクルの「ダフネスとクロエ」(ラベル作曲)は何とも素晴らしい名演だった。転居で持ち込んだレコードも少しずつ聴いている。それは音は悪くとも往年の名演だ。繰り返し聴いて厭きない。

 本日はこれまでもあまり聴くことがなかったベートーヴェンの「合唱幻想曲」のCDを注文してきた。その感想は後日。

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2016年5月15日 (日)

引っ越しの顛末と新たな出会い

 いやはや引っ越しはひと仕事、ふた仕事の大仕事である。それは生活の外面と内面が疎通する機会とも言える。なぜなら他人からすればガラクタや手紙、葉書などは自分の過去と出会う機会でもあるからだ。それは過去をどう処理するかという契機にもなる。一筋縄でいかないのが引っ越しである。確かにそれは生活の転機だ。今年は下咽頭ガンの告知も受けたアカショウビンの場合、ガンの治療と余命に関わる人生の整理の時でもある。学生さんや栄転で転勤のサラリーマンや公務員さんのように希望にあふれたお引っ越しというわけにはいかない。文字通り一筋縄ではいかない。それは引っ越し先の地理的環境やスーパーなど生活環境の違いと自分の現在と、これからの自分との関わりの問題でもある。胃ガンの手術からは8カ月が過ぎた。下咽頭ガンの治療計画で来週は都内の病院へもいかねばならない。共同生活の期限は1年。その間の不測の事態、来年の引っ越し先も視野に入れねばならない。

 まだ移転先の荷物は整理していないが、引っ越しの顛末を備忘録として記しておこう。

 5月1日(日)、 2tトラックで引っ越し。3日(火)旧居の後片付け。5日(木)、850㎏トラックで前回積み残しの搬送。6日(金)、旧居のガス・ストップの立ち会い、市役所に転入届けと国民健康保険などの手続き。7日(土)、高校時代の同級生K君のお誘いでH市の美術館へ展覧会を鑑賞に。9日(日)、10日(月)、旧居の最終清掃で仲介不動産に鍵を返却。

 同居とはいえ今回の急な引っ越しは、このブログの読者がご自宅の改築で借家しなければならず、そのご厚意によるもの。1年間の期限付きだ。条件は2頭の愛犬の散歩相手と車の運転手。二階の部屋の居候である。その前に彼らとはご自宅で対面した。S君は昨年、骨肉腫で後ろ脚を切断している。先日は都内の動物医療センターへ定期検診に同行した。愛犬といっても2頭とも大型犬。その世話が大変なのは犬を飼ったことがないアカショウビンでもわかる。

 アカショウビンの通っている病院と規模は違えど病院スタッフと飼い主、愛犬の関係は人間の場合と殆ど変らないといってもよいように感じた。とは言え、犬と人間の関係というのは実際に体験してみなければわからないだろう。アカショウビンは、どちらかといえばネコ派である。それで猫を飼っているわけではないから〝どちらかといえば〟といったくらいのもの。しかし飼い主と2頭の犬の生活を見ていると独特といってもよい濃い情愛のやりとりを実感する。それは人間の家族と殆ど同じものかもしれないし、或る意味でそれ以上のものかもしれない。そう考えさせられるほどのものと言ってよい。しかもS君は足を切断している。愛犬へ愛情はひと際厚い。

 幸い術後の経過は順調という診断だったようだ。飼い主の表情の明るさが注がれる情愛を物語っていた。天気もよかった。快晴の空と新緑が目を和ませた。2頭の犬との新しい生活はまだ始まっていないが不安と同時に楽しみでもある。それは同じガン患者としての関心と、同じ生き物として娑婆を去る時の準備期間をどう生きるかという設問を思索するうえでよい契機ともなるだろう。

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2016年5月 4日 (水)

縁起的存在論による転居体験

 大阪から北関東のK市に引っ越したのは6年前。このほど、天から降ってきたような不可思議なご縁で都下のM市に転居することになった。昨年3月末で前職を退職。その後、体調不良により市立病院で診てもらうと早期胃ガン。すぐに入院して手術という診断。胃を全摘という。7月1日から2週間の検査入院。その後、セカンド・オピニオンを行い都内の病院で全摘でなく腹腔鏡下手術で胃を半分切除した。入院中の状況は記事で報告した。その後というより退職後に仕事も決まらず治療費にも困り経済的に土壇場に立ち至った。その一連の事情を知った読者の方から助け舟が出された。その方のご事情もあり、ご提案のハウス・シェア(二階建て一軒家の上下で)することになった次第。

 5月1日に友人たちにお手伝いをお願いしレンタ・トラックで転居した。まだ全部荷物を移動したわけではないが寝泊まりは新居でしている。それにしても降って湧いた話とはこのようなことをいうのであろう。まるで、その方が観音か阿弥陀如来のようにアカショウビンのところへやって来られて、こちらへ、と手を差し伸べられたようだった。

 その方とは、このブログが縁となっている。もうかれこれ7~8年になるだろうか。美術家であられるその方が作品を出品されている展覧会に友人と出かけたことがある。以来、ネット上で記事を介して間歇的に遣り取りを続けてきた。ところが、今回のような事情で再びお会いし同居することになろうとは夢にも思わない出来事だった。仏教でいえば不可思議な縁(えにし)ということであろう。

 表題の縁起的存在論に学問的根拠はない。アカショウビンの造語である。しかし西洋哲学で論じられる存在論には関係性を論じる領域もあるであろう。そこには仏教哲学で論じる縁起説が絡められるのではないか。それは存在論に新たな光を射せるのではないか。この数日、引っ越しの作業に忙殺されながら、そのようなこともボンヤリ考えていた。既にアカショウビンの余命はガンの進行で壮健な人からすれば限られている。半年か、一年、二年、それは神のみぞ知るであるが現代医療の限界は周知の通り。既に下咽頭ガンも発症している。あとは手術、治療による延命策である。それは死を覚悟せよということである。存在論には死の先駆的覚悟という考察領域がある。それは仏教哲学の縁起説、死生観とも関係してくる。その可能性を探ることはアカショウビンの余生の楽しみともいえる。

 引っ越しで新たな出会いと発見があるだろう。そこで我が身の娑婆での生を少しでも意義あるものにする。そのささやかな努力と病に対する抵抗だけは継続しよう。

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