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2016年4月 9日 (土)

カワセミは不在

 朝のアルバイトを始めてから1カ月余、それまでたまにズル休みをしながらも続けていた朝の散歩ができなくなった。きょうは工場が休みでアルバイトは休み。今朝、久しぶりにいつもの散歩道を歩いた。きのうから天気もよく予報では5月中旬の陽気とも。カワセミの姿も見られるかといつもの場所に辿り着くとカメラマンたちがいない。それでも、と淡い期待をもちながらしばらく佇んでいるとやはりカワセミはいない。中州の水位もさがり餌の小魚がいないのだろう。しばらくぶりに定番のコースをゆっくり歩いた。いつの間にか畑にはネギが植えられている。ビニールハウスでは中年夫婦が座って作業している。桜は先日の雨で散った。ひと月の間に少しずつ景色は変化し季節も移っているのだ。

 こちらの体調も周囲の空気に連動し体内の臓器は脳からの指令を受け取り微妙に反応しているに違いない。先日は上部内視鏡検査の結果を聞きに都内の病院へ。担当の女医は少しバツの悪そうな表情で診察日の変更を詫びたあとパソコン画面で病状の説明を始めた。それによると結果は初診の通り下咽頭ガン。ただ初期であるので、と付け加え、こちらを安心させるようなコメント。加えて歯茎の後ろ(喉の側)に怪しい箇所があるので歯口腔科で診てもらうように、と。来週早々の予約をとってくれた。下咽頭ガンの治療は耳鼻咽喉科になり(彼女は消化器内科)今後対応していく旨を説明。診察は簡単に済んだ。災難は(これを災難というのかどうか)次から次と起こる。

 先月は高校時代の同窓生T君が山口県下関市から上京。数人の仲間で飲み会を開いた。場所は中野駅南口。アカショウビンは学生時代に反対の北口の西武線との間に下宿した。なつかしい北口のアーケード街や裏道の飲み屋街、南口をぶらついた。あれから40年が過ぎた。光陰矢の如し。中江兆民は、『一年有半』で、「ああ、いわゆる一年半も無であり、五十年、百年も無である。つまりわたしは虚無海上の一虚舟なのだ」と達観か諦観している。T君は翌日ポーランドに旅立つといって二次会を中座した。なぜポーランドなのか。しかもアウシュビッツ、クラクフを訪れるという。その理由は聞きそびれた。人は60年も娑婆に生きていれば何かそれぞれに考えるのだ。自分たちが生きた世界で過去に何があり、現在とは何で、将来・未来に何が起こるのか、それぞれに関心があるのだ。そこに意味を見出そうとするのが人という生き物の性というものである。

 それはともかく、カワセミは不在であるが非在ではない、無でもない。それはまた別のテーマだ。

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