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2016年4月13日 (水)

日々の労働

 先日の同窓会に出席して友人たちの近況を知るにつけても多くの同年代の男たちは定年後もサラリーマン生活を継続している。それは安定した収入が得られ老後の生活設計が立てられるということだ。誠に幸いなるかな。別の友人の一人は既に年金生活を満喫している様子。もう一人の友人は数年前に退職し家族のサポートをしながら講演会、演奏会を楽しむ何とも羨ましい日々を過ごしている。多くの日本人が戦後の高度成長期から世界有数の経済大国まで復興、繁栄するなかで多くの国民は戦前、戦中からすれば実に恵まれた生活レベルに達した。そこで失ったものがあるというのは別なテーマだが戦争にも駆り出されず、日々の食事をじゅうぶんに得られ家族で余暇を楽しめるようになったのは正しく日本人の勤勉な気質、性質の賜物というしかない。

 しかるにアカショウビンの日々の労働は時給802円の〝軽作業〟である。しかし外から見るほど楽でもない。朝の7時30分から10時まで休息のない立ち仕事である。同僚たちは黙々と午前10時の休憩までアスリートの如く作業に専念する。休憩時の飲み物の何と貴重なこと。その時を経験するだけでも労働の価値が推測できる。それはサラリーマンの仕事とは明らかに質を異にする。むしろそれはいわゆる3Kに近い。きつい、汚い、危険。アカショウビンの他の先輩たちは殆どが70歳を超えている。一人の女性は80歳という。しかし、外から見れば楽に仕事をこなしているようでも、息遣いと声を聞けば体力は消耗している。アカショウビンなど「若いねぇ」と冷やかされながら、元気な爺さんたちだ、と舌をまく。老化は人それぞれ、を実感しても年代の違いによる体力差はいかんともしがたい。

 先日、作業中に「青森のりんごを買いませんか」と訛りのある男がふいに声をかけてきた。しかし皆さんお仕事中で素っ気ない。「青森のどこから」と訊ねると「弘前です」と。そうか、弘前から車でリンゴを売りに来ているわけだ。それは彼らの労働の一環なのである。丹精したリンゴを自分たちで売り対価を得る。その労働はまたサラリーマンや我々の〝軽作業〟とは異なる労働だ。そこで人それぞれに世界を見る眼が異なってくる。

 朝のテレビで昨日の新宿ゴールデンの火事の報道をしていた。昼間に出火したらしい。たまに飲み歩いた記憶が甦る。そこで商売する人たちもまた異なる世界を見ている。世界とは何か。仏教では娑婆世界である。西洋哲学の一つでは人間たちが放り込まれた場所である。そこで労働とはどういう意味を生じるのか。現在のきつくはあるが身体を動かし何かの作業をこなしているという達成感は我が身に何か満足をともなった喜びのようなものとして実感される。その満足とは何か。その喜びとは何か、少し問い続けてみよう。

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