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2016年4月28日 (木)

労働(アルバイト)の記憶

 本日で〝シルバー人材〟で斡旋された仕事は終了。本来なら土曜日は仕事なのだが引っ越しの前日でもあり休ませてもらった。きのう、きょうと同僚の諸先輩方に挨拶。約二カ月と何とも短い間だったが、これも何かの縁と皆さんに礼を述べた。Iさんは昨日、胃ガンの後の胃カメラ検査の話。結果はすべて順調に推移しているご様子。アカショウビンはあえて自らのガンの話はしなかったけれども。作業が終わってさっさと別れるいつものように本日もさらりと自転車で工場をあとにした。

 今朝は4月下旬というのにまた冬にもどったかのような寒さで雨。いつもの用水路端の道を自転車で。犬を連れた散歩者もランニングする人もいない。何とも静かな風景だ。17~18世紀の西洋の風景画にもありそうな。橋を渡ると子供の日に向けた大小の鯉幟が雨にうたれしぼんでいる。この橋を渡ることは二度とないかもしれない。アカショウビンは開拓されたのが江戸時代の初期という長い歴史を持つこの用水路が好きだった。カワセミはきょうも中州で小魚を狙っているだろうか。

 若い頃に秋葉原でアルバイトをして食いつないでいた。制度が変わり企業の方針転換で転職を余儀なくされた。同僚たちと別な仕事で更に食いつないだ。夜中の清掃の仕事だった。主にパチンコ店で都内や近県に軽トラックで移動する。終わればマンションのタコ部屋のような二段ベッドで仮眠。中国人も多かった。それは決して楽な作業とはいえない。まだ若かったからできた仕事だ。店の床をポリッシャーといっただろうか機械で丁寧に磨く。それが終わるとそのうえにワックスを塗る。天井のミラーは脚立に乗りこれまた丁寧に汚れを拭く。きつい、きたない、危険の3K作業である。チーフの若い男は中国人を「人間と思うな」と私たちに言った。彼の考えは恐らく中国人だけでなく、自分が使っている、われわれ日本人の仲間も自分の仕事をこなすためには人間と思っているふうではなかった。アカショウビンはこれまで何度か殺意を抱いたことがある。この時、忽然と噴き上がる怒りと共に殺意が湧いた。しかしさすがに行為にはおよべない。殺すな、というのは先の大戦中にも戦後も幾多の行動者たちが叫んだ声の筈だ。もちろん逆に殺せ、とも。人の善悪は糾える縄の如きものだ。しかし人を人と思わない奴らが此の世には確かにいるのだ。自分たちの利害のためには人を殺す。それが人間という生き物であることは忘れないでいよう。

 今回のアルバイトもそれほどではなかったが70歳過ぎの高齢者には楽とはいえない。むしろ若い人はやらない、若い人たちにはやらせない単純作業だ。それを高齢者たちが受け持つ。週に2回、白蟻駆除の作業着の洗浄と分別の仕事がある。薬品と土埃まみれの何とも汚い作業着を扱うのは誰も嫌う。これで時給手取りで802円。それでも毎日4時間に満たない短時間だが毎日通えば少しのまとまった金にはなる。同僚たちも孫を遊ばせたり遊んだりや家族サービスに何かと役立てられるのだ。

 来週からは後任の人が来る。雨が降ろうがこれから夏に向け暑い日が続こうが皆さんは毎朝、作業着の山を黙々と片付ける。社員のKさんはせっかちに移動し大きな洗濯機を動かし故障にブツブツ言いながら若いM君に声をかけるだろう。女性パートの皆さんは子供たちの話で盛りあがりながら。熊本では地震で多くの人々が被災し死んだ。海の向こうでは今も戦火が絶えない。シリアを出た難民たちはきょうも苦しんでいる。アカショウビンは引っ越しの準備で忙しい。また仕事を探さないければ生活は成り立たない。余生はそれほどないだろうが、生きている間はKさんのようにブツブツ言いながら生きねばならない。

 きょうは降り続ける雨もやがて止む。人は死に、子は次々と生れる。中島みゆきが歌うように、時代はまわる、のか知らない。しかし、喜び悲しみは繰り返される。そして、きょうは斃れた旅人たちも、生れ代わって歩き出すのかもしれない。

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2016年4月24日 (日)

日々の楽しみ

 引っ越しの準備をしながら友人のN君が様子を見に来てくれた。その混雑ぶりに呆れながらも当日は手伝ってくれることを約した。ありがたいことである。N君には8年前に大阪に引っ越す時も手伝ってもらった。それからアカショウビンも彼も還暦を過ぎて体力は衰えている。業者に任せたら、という周囲のアドバイスもあるが連休時は業者も忙しそう。経済苦の現状で無駄な経費は削らなければならない。大阪との往復で2トン車の運転は経験済み。ただ今回は昨年の手術で体力は激減している。最低限のレベルで安価で安全に事を運ばなければならないのだ。

 それはともかく、このところの心身の疲れをいなす方策はあれこれ試みている。金銭的な余裕があれば美術館や音楽コンサートにも行きたいがままならない。それでも友人のN君は退職後の悠々自適の毎日で映画や音楽界の招待券を世話してくれる。金曜の夜は都内でのコンサートに招待してくれた。久しぶりのオーケストラ・コンサートである。新日本フィルを準・メルクルがラベルのバレー音楽「ダフニスとクローエ」を指揮する。聴きものである。手持ちのCDを聴く機会は少ない。集中して聴いた。席は指揮者やオーケストラの団員の表情、姿が見下ろせる舞台に向かって左袖。楽器の種類も興味深々。ウィンド・マシーンなど珍しい楽器もラベルは駆使して分厚い音色を作り上げた作品だ。CDで聴くのとは別な楽しみを体験できた。クラシック音楽にはあまりご興味のないN君には恐縮だがアカショウビンは冥土の土産がひとつできた。感謝して近くのファミリーレストランで一杯飲んで感想とお礼を述べた。冒頭のプーランクが面白かった。作品もオケの反応も指揮者の表情、身ぶりもメリハリが効いて堪能できた。クラシックに馴染みのない聴衆も楽しめる選曲と思えた。2曲目はフォーレのパヴァーヌ。これも久しぶりで聴いた。合唱付きなんてことも忘れていた。大曲の「ダフニスと~」の混声合唱団も健闘していたのだろう。終演後のブラボーの声もかかって指揮者、合唱指揮者も拍手を浴びていた。

 本日はテレビで上野で開催中のカラヴァッジョ展の特集番組を放送していた。これも友人のG君から招待券を頂いているが未だ訪れていない。「ボッティチェリ展」は観たので併せてイタリア絵画について先に観たダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」とともに感想を記しておきたい。そうそう、我が邦の若冲展も始まっている。

 補足 昨日は将棋名人戦の第3局も行われた。倦み疲れる日常に陽の温もりにつれて楽しみは続く。引っ越しを滞りなく済ませ、新たな住まいで新たな活力を得ていきたい。

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2016年4月20日 (水)

声と精神

病のせいか最近とくに人の声に過敏になっている。テレビやラジオから聴こえてくる声が気になる。その多くは媚びる声、阿る声、真実らしく聞こえる声である。そこから存在の声とでもいうような声を聴き分けなければならない。それは余生が残り少ないことによるものかもしれない。それはともかく、たまに真実と思える声を聞いた思いがすることがある。たまに聞く深夜ラジオのインタビューなどに。それは声と精神を聞くときと言える。

先日、昨年から通院している都内の病院へ行き耳鼻咽喉科で下咽頭ガンの専門医の診察を受けた。消化器内科のF医師の診断とは異なり、ガンはステージ1ではなく2である、との判断。同科のスタッフは4月から新しく入れ替わっている。3月にF医師からその旨の説明は聞いていた。彼女は期待をもたせるような話ぶりだった。つまり前のスタッフより優秀とでもいうような。その日は2時30分の予約だった。それが1時間以上待たされた。それはこれまでも何度かあった。それはよい。医師は「手術があったので」、と弁解しながらそそくさと診察に入り、何の説明もなく、さっさと鼻に液体をかけた。「麻酔ですか」と訊ねると、あれと言うような表情で「そうです。わかりましたか」とバツの悪そうな表情で鼻から入れる内視鏡検査にはいった。そのせっかちとも思えるふるまいに違和感をもった。そして看護師に対し命令口調の態度にも。確かに新たな職場でとまどうことも多いのだろう。しかし患者の前でそのような態度がどのような印象を与えるかの配慮があってしかるべきだ。それは医師としてというより人間として問題あり、である。そのような医師に治療は任せられない。

それはともかく、このほど読者の方のご厚意で現在の北関東の寓居から都下へ引っ越すことになった。大阪から引っ越して6年が過ぎた。ここで朽ち果てるつもりだったが人生思うようにはならないものである。しかし残り時間は多くはない。粛々と始末をつけねばならない。

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2016年4月13日 (水)

日々の労働

 先日の同窓会に出席して友人たちの近況を知るにつけても多くの同年代の男たちは定年後もサラリーマン生活を継続している。それは安定した収入が得られ老後の生活設計が立てられるということだ。誠に幸いなるかな。別の友人の一人は既に年金生活を満喫している様子。もう一人の友人は数年前に退職し家族のサポートをしながら講演会、演奏会を楽しむ何とも羨ましい日々を過ごしている。多くの日本人が戦後の高度成長期から世界有数の経済大国まで復興、繁栄するなかで多くの国民は戦前、戦中からすれば実に恵まれた生活レベルに達した。そこで失ったものがあるというのは別なテーマだが戦争にも駆り出されず、日々の食事をじゅうぶんに得られ家族で余暇を楽しめるようになったのは正しく日本人の勤勉な気質、性質の賜物というしかない。

 しかるにアカショウビンの日々の労働は時給802円の〝軽作業〟である。しかし外から見るほど楽でもない。朝の7時30分から10時まで休息のない立ち仕事である。同僚たちは黙々と午前10時の休憩までアスリートの如く作業に専念する。休憩時の飲み物の何と貴重なこと。その時を経験するだけでも労働の価値が推測できる。それはサラリーマンの仕事とは明らかに質を異にする。むしろそれはいわゆる3Kに近い。きつい、汚い、危険。アカショウビンの他の先輩たちは殆どが70歳を超えている。一人の女性は80歳という。しかし、外から見れば楽に仕事をこなしているようでも、息遣いと声を聞けば体力は消耗している。アカショウビンなど「若いねぇ」と冷やかされながら、元気な爺さんたちだ、と舌をまく。老化は人それぞれ、を実感しても年代の違いによる体力差はいかんともしがたい。

 先日、作業中に「青森のりんごを買いませんか」と訛りのある男がふいに声をかけてきた。しかし皆さんお仕事中で素っ気ない。「青森のどこから」と訊ねると「弘前です」と。そうか、弘前から車でリンゴを売りに来ているわけだ。それは彼らの労働の一環なのである。丹精したリンゴを自分たちで売り対価を得る。その労働はまたサラリーマンや我々の〝軽作業〟とは異なる労働だ。そこで人それぞれに世界を見る眼が異なってくる。

 朝のテレビで昨日の新宿ゴールデンの火事の報道をしていた。昼間に出火したらしい。たまに飲み歩いた記憶が甦る。そこで商売する人たちもまた異なる世界を見ている。世界とは何か。仏教では娑婆世界である。西洋哲学の一つでは人間たちが放り込まれた場所である。そこで労働とはどういう意味を生じるのか。現在のきつくはあるが身体を動かし何かの作業をこなしているという達成感は我が身に何か満足をともなった喜びのようなものとして実感される。その満足とは何か。その喜びとは何か、少し問い続けてみよう。

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2016年4月 9日 (土)

カワセミは不在

 朝のアルバイトを始めてから1カ月余、それまでたまにズル休みをしながらも続けていた朝の散歩ができなくなった。きょうは工場が休みでアルバイトは休み。今朝、久しぶりにいつもの散歩道を歩いた。きのうから天気もよく予報では5月中旬の陽気とも。カワセミの姿も見られるかといつもの場所に辿り着くとカメラマンたちがいない。それでも、と淡い期待をもちながらしばらく佇んでいるとやはりカワセミはいない。中州の水位もさがり餌の小魚がいないのだろう。しばらくぶりに定番のコースをゆっくり歩いた。いつの間にか畑にはネギが植えられている。ビニールハウスでは中年夫婦が座って作業している。桜は先日の雨で散った。ひと月の間に少しずつ景色は変化し季節も移っているのだ。

 こちらの体調も周囲の空気に連動し体内の臓器は脳からの指令を受け取り微妙に反応しているに違いない。先日は上部内視鏡検査の結果を聞きに都内の病院へ。担当の女医は少しバツの悪そうな表情で診察日の変更を詫びたあとパソコン画面で病状の説明を始めた。それによると結果は初診の通り下咽頭ガン。ただ初期であるので、と付け加え、こちらを安心させるようなコメント。加えて歯茎の後ろ(喉の側)に怪しい箇所があるので歯口腔科で診てもらうように、と。来週早々の予約をとってくれた。下咽頭ガンの治療は耳鼻咽喉科になり(彼女は消化器内科)今後対応していく旨を説明。診察は簡単に済んだ。災難は(これを災難というのかどうか)次から次と起こる。

 先月は高校時代の同窓生T君が山口県下関市から上京。数人の仲間で飲み会を開いた。場所は中野駅南口。アカショウビンは学生時代に反対の北口の西武線との間に下宿した。なつかしい北口のアーケード街や裏道の飲み屋街、南口をぶらついた。あれから40年が過ぎた。光陰矢の如し。中江兆民は、『一年有半』で、「ああ、いわゆる一年半も無であり、五十年、百年も無である。つまりわたしは虚無海上の一虚舟なのだ」と達観か諦観している。T君は翌日ポーランドに旅立つといって二次会を中座した。なぜポーランドなのか。しかもアウシュビッツ、クラクフを訪れるという。その理由は聞きそびれた。人は60年も娑婆に生きていれば何かそれぞれに考えるのだ。自分たちが生きた世界で過去に何があり、現在とは何で、将来・未来に何が起こるのか、それぞれに関心があるのだ。そこに意味を見出そうとするのが人という生き物の性というものである。

 それはともかく、カワセミは不在であるが非在ではない、無でもない。それはまた別のテーマだ。

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