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2016年3月26日 (土)

ロマンと浪漫

 昨年、入院していた時に手術後に部屋の周りを若い看護師の女性の助けを借りながら点滴をひいて歩いた。その時、壁に絵が架けられていて絵は好きですかと訊ねると「印象派は好きです」と答えた。なるほど、この人は絵をジャンルで自分の好みを相手に伝えようとしているわけだ、と解し少し物足りなかった。モネだったらモネでモネの何が好きかで話は続く。アカショウビンは絵に限らず芸術作品をジャンルで見ることは殆どない。好みの作品はその制作者であり、強いて言えば様式である。音楽については作曲者でありソナタ形式とかバッハのフーガ、ショパンのマズルカといったスタイル(様式)である。

 というのも、ミクシイの音楽好きの皆さんのコメントのなかでロマン派で好きな作曲者は誰かといった問いかけがあったからだ。先に述べたようにアカショウビンはジャンルで音楽を聴かない。〝古典派〟ではハイドンでありCDショップではバッハは〝バロック〟にジャンル分けされているが、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスを聴くのである。そこでロマン派というと頭に浮かぶ、前回のブログにも書いたようにシューマンの室内楽やピアノ作品をあれこれ聴いている。以来、あれこれ思案し手持ちのCDを引っ張り出し聴き直した。

 本日は山田一雄のブラームスの交響曲第1番を聴いた勢いで、他の録音を1楽章を中心に幾つか聴き比べた。ステレオ録音では先ずオイゲン・ヨッフムとロンドン・フィル(1977年)、ギュンター・ヴァントとNDR響(1982年~1983年)。モノラルではヴィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィル(1952年)のEMI盤、ブルーノ・ワルターとニューヨーク・フィル(1953年)。その中ではレコードで若い頃に繰り返し聴いたフルトヴェングラー、ワルターがすばらしい。しかし冒頭の部分は山田が二人の巨匠に勝るといってもよい。またワルターの2楽章は格別の美しさであることを再認識した。今宵もいくつか聴いてみよう。

 そのような機会に考えるのはロマンといい浪漫という、主義といい文化運動ともいう歴史現象の実態と本質である。ロマン派音楽という分類があればロマン派文学もありロマン主義という思想もある。その中身とは何か。そこを明かさねばならない。それはアカショウビンが現在こそ中断しているが10数年前から精読している保田與重郎の著作を辿りながらそう思うからだ。保田らが昭和初期に立ちあげた日本浪曼派の思想、文学作品は戦後、橋川文三の主著により、また竹内 好ら左派の戦後思想家たちから厳しく批判され息の根を断たれた観がある。しかしアカショウビンは著作を読み続けるなかで、そには文学、思想に対する保田の豊饒な文学・思想があふれていることを痛感した。橋川や竹内からは「巫」と揶揄された保田の論考はその痕跡を認めたうえでさらに踏み込むべき内容をもっていることは確信する。アカショウビンが保田と共有する論点は〝近代とは何か〟という問題意識でそれは洋の東西を問わない。保田がドイツロマン主義に強く共感したように〝近代〟という歴史区分の中身を明確にし論点を立てて論じなければ現在の政権のように歴史の逆戻りをしかねない危険性を帯びているからだ。

 保田によれば浪曼主義とは自然主義と異なり美に立脚し気宇や精神の新しさを造型し重視する主義である。しかし、そのような定義なら日本浪曼派ならずともあるだろう。しかし重要なのはそのような主張が昭和初期に日本の青年たちを魅了したという事実なのである。それは橋川や竹内らの批判で命脈を絶たれたと見える保田の寄った日本古代の豊饒な文化への再認識は必要不可欠。そこにしか文学、文化、思想の批判的伝承はないと思える。〝近代〟についてはハイデガーがギリシアにまで遡り近代批判を戦後も更に継続している一端はこのブログでも著書や講義録を引用し書き続け考察している。

 それは時にアカショウビンの右翼的体質と誤解も受ける。裏返せば左翼である。アカショウビンはそのような二元論で物事を割り切る安易にだけは堕ちこまないよう注意して生きて来た。それは読者の皆さんに伝えておきたい。先日、東京新聞で鎌田慧氏が鋭いコラムを書いておられた。その立ち位置をアカショウビンは共有、同意する。それは現政権に対立するから一見左翼的言辞である。しかしそれは左翼的立場ではない。現政権は右翼的だが右翼ではない。それは真正な右翼からすればモドキであろう。保田與重郎は右翼か。アカショウビンの視点は違う。竹内の言うように巫的天皇主義者というところと考える。それはもちろんアカショウビンの立ち位置と異なる。

 保田の昭和15年から16年の論考をまとめた著作が『近代の終焉』(2002年1月8日 新学社 保田與重郎文庫9)である。これは戦前の日本の思想空間を精査するうえで不可欠の資料である。若い人たちにも是非広く読んで頂きたいと心から思う。

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2016年3月17日 (木)

生きる糧

 先日、都内の病院で術後半年の胃カメラ検査の結果判明した下咽頭癌の推定を主治医が紹介してくれた消化器内科の医師の診断として聞いた。前回の診断書では≪右下咽頭側壁~梨状陥凹にかけて通常観察で発赤調、NBIで境界明瞭なbrownish areaとして認識される病変を認める。中心部には白苔付着を伴うびらんを認める。上皮下浸潤を伴う下咽頭癌の所見と考える≫とある。「画像の奥の部分がわからない。ガンの大きさで治療方法が変わってくる。もう一度、内視鏡で見てみたい」と、テキパキとした話し方で若いE女医は説明した。二人で画像を見ながら、「これは胃ガンの転移ですか」という私の質問に、きっぱりと「違います」と。「しかし、この画像でガンと判断できるのですか」という疑問には「これは私の専門領域ですから」と突き放すように。それでも胃ガンの時の治療チームの一部の医師に見られた冷たさはない。むしろ或る種の女性に見られる母性によるものとも思われる凛とした知性のような気持ちの明るさを含む表情で。

 夜には時に茫々とした不安のようなものに襲われ眠られなくなる。先日もそんな精神状態に堕ちこんだ。衝動的にCDをヘッドフォンで聴いた。なかなかよい。シューマンのピアノ・トリオである。先日のブログで紹介した〝幻のリサイタル〟となったピアニスト、メナヘム・プレスラーらが長年にわたり演奏活動を続けたボザール・トリオの1971年の録音である。その2番のヘ長調が気鬱を跳ね返す激しさでアカショウビンの精神をその世界に惹き込んだ。それは現実の時に嵐の如きものだった。しばし気鬱の重苦しさの縛りが解かれた思いだった。ハイドンの端正さとは趣きを異にするシューマンの情動が別の世界に誘いこんでくれたともいえる。

 シューマンは交響曲と幾つかの歌曲集は若い頃から聴き続けてきている。ところが室内楽を集中して聴きだしたのはこの十数年だ。音楽史ではロマン派に属されるシューマンの生涯は突然の自殺で断たれた。その作品は激しい感情と情熱に満たされている。還暦を過ぎて音楽の好みも変わってくるのだろう。それはそれで楽しみは増えるのは悦ばしいかぎり。ロマンとは浪漫である。東西で実情は事なれど時代精神は疾風怒涛のように世の若者たちの精神を揺さぶる。その詳細を辿りたいが残り時間は少ない。

 本日はハローワークで紹介された団体の現場へ面接に。早めに着いたので、しばし周辺を散策する。仕事のないオッチャンたちがたむろしている。そうか山谷か、と納得。平日の午後の路上に殺気のようなものもない。ネクタイにブレザー姿の男は怪しげなのだろうがそれほどの警戒心も見せない。もちろん暗黙の会話が交わされているのだろうが。狭い道の向こうにはスカイツリーも見える。どこにでもある長閑な街の風景だ。しばらく歩くとアーケード街に。その天井近くには垂れ幕というのか「あしたのジョーのふるさと」と大書され、ちばてつやの漫画のキャラクターたちがゆらゆらと春の温かな空気に揺れている。そうか、ここがモデルの街だったのだ。かつて連載中に熱中した漫画の舞台に何と数十年ぶりに遭遇したというわけだ。台東区日本堤一丁目。シャッター街の様子はどこの地方都市とも変わらぬ風情だ。

 開店している店は作業衣や飯屋。煮込み200円、ライス100円、おかゆ120円。そこに聞こえるバッハの作品のピアノ演奏と誰かの管弦楽曲。聴き覚えのある曲と思えばブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」だ。寂れたアーケード街に名曲がうらがなしく流れる。その寂寥感とも思われる時空は正しくアカショウビンの心と共振している。酔っ払いの初老の男がだらしなく腰を落とし、足を投げ出し、ロレツの回らない大声を発し、携帯電話で仕事の話をしている。それが唯一、かつての〝山谷〟の面影を残しているように思えた。

 面接の時間がきてその建物へ。地下の部屋に案内された。担当者は生真面目そうな50代の男。履歴書を見ながら、これまでの人たちと異なりあまり突っ込んだ質問はしてこない。ただアカショウビンの出身地にだけは関心があるらしく多言を費やした。聞けばその事務所にも同じ市の男や故郷の島の人がいたことがあるらしい。

 面接を終え駅までゆっくり歩いた。彼方の空をジェット旅客機が短い飛行機雲を引いて飛んでいる。かつてのドヤ街は拍子抜けのする静けさで佇んでいる。果たして職にはありつけるのだろうか。シューマンのピアノ・トリオはともかく、生活の糧は現金収入である。記憶の彼方で岡林信康のレコードジャケットが浮かび上がった。ジーンズをはいた髯面の岡林が目線を下に歩いている。しかし「山谷ブルース」は聞こえなかった。

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2016年3月11日 (金)

労働歌あるいは覚悟

 朝のアルバイトの作業を始めてから二週間、今週の初めは雨になり傘をさして30分強の道のりを自転車でクリーニング工場まで辿り着いた。きのうは手術前から痺れで思うようにならない左腕の手の甲に作業中に激痛が走った。しかし作業を止めるわけにはいかない。動きをゆっくりし痛みを逸らした。そのような作業の単純さを凌ぐには歌である。それは労働歌といってもよい。北海道のニシン漁で漁師たちが歌うソーラン節もそうである。日々の労働に歌が生起する、湧き起こる。それが単純作業のマンネリに何かの力となって心身を活性化させるのだ。

 そのような日常で時に鬱のようなものが心身を浸す。それはいつか来る死への覚悟といってもよい。それは不安とも心の沈みともなって我が身を支配する。それから逃れるためには声や音楽、人びとの話声が必要だ。それは恐らく五年前の津波に押し寄せられた土地に棲む人々が経験したものたちだろう。声とは何か。音楽とは何か。話声とは何か。

 記憶は甦る。その切っ掛けは瞬時に生じる。時にそれは持続しない。しかし、緩やかにそれは痛みを伴い甦る。それは日常に亀裂を生じさせる。津波を経験しなかったアカショウビンには昨年の手術前後の非日常を想い起こすことである。それはこの二週間の日常で記憶として立ち上げる心身の作業でもある。そこに覚悟が生じなければならない。

 アカショウビンの労働歌は北原ミレイの『石狩挽歌』である。「ゴメ(海猫)が鳴くからニシンが来たとー、赤い筒っぽのヤンシュが騒ぐ」と歌いだす声の力はアカショウビンが生きた時の中に津波のような力のエネルギーとなって記憶を甦らせる。若い頃に三畳の下宿で聴いた歌い手の声は現在の日常の作業のつらさを凌ぐ存在のあるいは有の声となって湧き起こるのだ。

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