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2016年2月 1日 (月)

不眠症の功徳

 昨夜の飲み過ぎて気分が悪くなり、早めに床に就いた。少し眠れて深夜過ぎに眼が覚めた。いつものようにラジオを聴いて二度寝しようとしたが話が興味深い。NHKの深夜便は午前4時過ぎはインタビュー構成である。今夜は海外の難民支援に精力的に働いておられる50代後半の人。若い頃にヴィエトナムからの難民とも出会い、それが契機となり社会人になって精力的に難民支援に従事しているという方だ。アナウンサーの素っ頓狂な質問にも誠実に応えられ、お人柄が彷彿する。何でもカトリックの神父さんらしい。海外を飛び回られて各国の難民と会っておられる体験談は実に興味深かった。日本が難民支援では酷い後進国であることも改めて知った。不眠症の功徳というものもあるのである。

 先日観た『希望の国』(2012年 園 子温監督)は佳作である。舞台は福島原発後の架空の東北地区に起きた場所に住む人々を描いている。現在の福島の現状を想起させる内容である。畜産農家の現実を通し現状を告発する内容だ。そのなかで退避命令が出て新婚の息子夫婦には強固に立ち退きを薦め、自分たちは頑固に自宅に居座る老夫婦を夏八木 勲と大谷直子(以下、敬称は略させて頂く)が演じている。夏八木が亡くなる前の作品としても記憶される。病で死を覚悟しているのかもしれぬ存在感が見事。役柄は福島原発を経験した男という設定である。そのなかで、この作品が発しようとするメッセージとも思われるシーンがある。夏八木が叫ぶ声だ。国は助けてくれない、国は事実を隠すぞ、というところ。それは私たちがフクシマ原発で明確に認識した事柄である。この作品は父・息子の愛情や家族愛が丁寧に描かれている。フクシマの風景は何度みても苛烈で過酷である。それを映像として見るとき人はこの世の自然と人間の生というものに正面させられる。そこに流れる音楽はアダージョだけで完成する事ができなかったマーラーの第10番交響曲。その静謐さと鎮魂の感情は映画で描かれる惨憺たる風景と物語に寄り添うには見事な効果をあげていることも特筆しなければならない。

 話は飛ぶが、辺見 庸は先の朝日新聞のインタビューで〝市場経済と言葉〟の関係について次のように述べている。

 「この社会システムが必要なのは購買者・消費者としての人間であって怒る人間とか変革する人間ではないということだと思うんです。『人間』を締め出していると言うんですかね。疎外ということです。ぼくらは歴史をつくる主体だと教え込まれて生きてきたけど、果たしてそうであったのか。歴史の主体ではなくて、歴史の対象なんじゃないでしょうか」

 その言や好し。マスコミは取材対象に群がる糞蝿だ、と吐き捨てた辺見のマスコミ批判はインタビューの中の次の箇所にも表記されている。

 これは 『1★9★3★7』(辺見 庸著 2015年10月27日 株式会社金曜日)でも指摘した箇所だ。昭和天皇が1975年10月31日に内外の記者50人を前に行った記者会見である。戦争責任に関して英紙タイムズ記者の質問への答えだ。「そういう言葉のアヤについては(中略)よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」。広島の原爆には地元中国放送の記者の質問に「気の毒ではあるが、やむを得ないこと」と答えた。

 辺見の著書によると正確には次の通りである。「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。この事に関しては辺見は著書の中で茨木のり子の詩「四海波静」を引いて異議を書きつけている。詩人は次のように書いた。天皇の言葉に対し、思わず笑いが込みあげて どす黒い笑い吐血のように 噴き上げては 止り また噴きあげる (同書 p306~p307)。

 先日、県民共済の入院保険額の件で、支払いは出来ない、と加入期に払い込んだ全額と病院に作成してもらった診断書の請求金が払い戻された。地方自治体にしてかくの如しである。況や国家というのは国民を戦争に駆り出し、駆り立て殺すシステムである。それは新藤兼人の『一枚のハガキ』で痛烈に発されたメッセージである。そんなものに頼って生きてはいけない。自立、自活し、したたかに国家に抵抗する、余生のスローガンはこれである。

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コメント

倚りかからず
 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

同じ「のり子」なのですが、大違いで!!!(笑う)

でも、心境は同じと自負します。

投稿: 若生のり子 | 2016年2月 8日 (月) 午後 12時20分

 若生さん コメントありがとうございます。その意気や好し。まったく同意です。先日は久しぶりに都内に出て新宿で上映している市川崑監督特集で『炎上』を観ました。レンタルDVDもいいですが、やはり映画は映画館のスクリーンがいいですね。

投稿: アカショウビン | 2016年2月 8日 (月) 午後 02時06分

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