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2016年2月29日 (月)

労働の本質とは何か

 本日から午前中のアルバイトの仕事始め。朝の7時半30分からの開始に自転車で30分かけて行く。30分間のペダルを踏み続けるのは用水路の景色を眺めながら楽しくもあるが疲れもひとしお。いい運動ではある。先週、2回見習いをしているが4時間のフルタイムではない。本日が初めてのフルタイム作業である。先輩諸氏がやさしく教えてくれてありがたい。主任のような人も親切。しかし業務用のクリーニング会社の仕事は中高年にはきつい労働である。しかし慣れがそれを凌いでくれるのだろう。皆さんスイスイと作業をこなしておられる。アカショウビンも見よう見真似でそれを覚えていくしかない。普段使わない手首や全身を使いながらそれを学んでいく。作業しながら身体に叩きこんでいくのだ。

 何と、仕事に出かけるのは、昨年3月末での退職以来。それ以降は求職活動をしながら失業保険、友人たちからの借金、年金で凌いだ。その後、胃ガンが発覚、市立病院に7月から2週間の検査入院、都内の病院でセカンド・オピニオンのあと手術のために入院・手術と目まぐるしい時を過ごした。予定より一月以上長引いた入院期間は点滴を抱えながらトイレに行くのもひと仕事。不眠の夜は睡眠剤でしのぐ。一日6度の食事は、あげ膳、据え膳の毎日。時間は余るほどある。その間はコンビニで新聞を買い、持参した未読の本やCDを聴いて過ごした。

  昨年10月末に退院してからはサラリーマン時代の時間の推移とはまるで異なる時が流れる。現在もサラリーマン時代とは時の流れが違う。それはまた人が新たな時間の中で生存、現存する在り方を経験することである。それに慣れるには、それなりの工夫が必要だ。満員電車に揺られて前日の酒席のアルコールが残るなかウトウトしながらの通勤時間は今から見れば映画サラリーマン・シリーズの主役、植木等に言わせれば、ゴクロウサン!である。

 サラリーマン時代の仕事と現在の現場での仕事を比べれば、労働とは何か?労働の本質とは何か?といった問いが生じる。ハイデガー流に言えば、新たな問いが生起する。マルクスやヘーゲルの西洋哲学に竿差した労働観がある。ハイデガーは初期マルクスを〝貧しさ〟という概念で思考した。ヘーゲルも主著で取りあげ、その後の講義で詳細に読解、批判を継続している。戦後の冷戦時にもハイデガー独自の世界観が実に面白い。その観点は今の時代まで持ち越されている難問である。

 それらは観念上の論議、理論である。アカショウビンの現在は自らの労働環境の変化の体験を通して労働とは何かという問いに体験を介して思考をめぐらすことである。そのなかでハイデガーの『真理の本質とは何か』という講義録も読み続けて面白い。作業のひとつひとつ、工場内の設備、そこで働く中高年者たちの姿は論説家、理論家たちの仕事を介して生の現場、生の労働を体験することである。その過程をハイデガーは西洋史での真理をギリシアに遡り詳細・緻密に分析する。それが別の観点から一々、的確に対応していることに驚き感嘆する。通読しさらに労働の本質について得たところを報告したい。

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2016年2月26日 (金)

田辺 元の哲学

 『懺悔道としての哲学』第4章の〝懺悔道と自由論との比較〟では、シェリング哲学を高く評価し、自らの哲学との違いを論ずる。それは現在までどのように研究者たちに考量されているのかアカショウビンには詳らかでない。しかし田辺の戦後の思索と自らの西洋哲学の学究者としての力量は、この著作のなかで見事に如何なく発揮されている。それは田辺が評価し批判したハイデガーの哲学思想と併せ読み痛感するところだ。シェリングについてはハイデガーも講義録が残っており他の論考でもカントからシェリングに引き継がれて思索、対決されている論点は根源悪という論点だ。それはカントやスピノザ、キルケゴールらのキリスト教神学思想に対抗して思索されたたものとして現在まで我が国でも欧米でも継続されている論点と思われる。それを新たに考察することで現在に生きる我々の存在の立ち位置が問われる。それは次のような田辺の論説にも読みとられる。

 シェリングの歴史哲学は、ヘーゲルの歴史哲学がその理性主義の同一性傾向の故に唯物論に顚落し、現代におけるそれの復興に際してはまずこの点の修正を受けなければならず、実践行為の超理性的媒介の立場はその要求に促されて出現したものであるという事情の下において、正に同じ要求に応ずる既存の体系として重要視せられ、その価値が見直されつつあるものなること顕著なる事実である。(同書p234)

 それは田辺やハイデガーの講義録を再読、再々読しさらに考えていかねばならない。

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2016年2月25日 (木)

フェルメールを観に

  都内で用事があり、ついでに六本木の美術館で開かれている「フェルメールとレンブラント展」を見に東京駅から六本木まで行く。目玉はフェルメールとレンブラントだが、フェルメールの「水差しをもつ女」は、かつて見た「牛乳を注ぐ女」ほどの強烈な印象は受けなかった。女のスカートの〝フェルメール・ブルー〟が保存状態が悪いのではないかと思われるくらい全体の画調がくすんでいる。これまでに観た作品のなかでは画集との差が殆どないものとして期待を裏切られたというのが正直な感想だ。それに比べればレンブラントの「ベローナ」(1633年)は実物に正面しなければ体験できない強い印象を与える。それはフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を観た時の印象にちかいものだった。もっとも「水差しを持つ女」は他作品ほどに修復が進んでいないことによるものなのかもしれない。それは修復者たちの技量にもよるだろう。

   今回の展示の面白さは二人の画家より彼らと同時代の他の画家たちの優れた作品に出会えたことだ。それはこれまで何度か他の展示会でも見た作品だが、当時のオランダ絵画の隆盛をまざまざと示す傑作、佳作、秀作が展示されている。今回のテーマは〝フェルメールの光とレンブラントの闇〟というものだが、そんな単純なものでないことは会場をまわれば納得する。サブテーマの〝オランダ絵画黄金期の巨匠たち〟の秀作、佳作、傑作が展示されているからだ。それは両者の2点の作品に拮抗する完成度を示している。

 ピーテル・デ・ホーホの「女性と召使のいる中庭」(1660‐1661年頃)は、フェルメール作品にも映描かれているデルフトの街中の家屋の庭で家事の材料の魚を扱う風景だが、その時が止ったような人が生きている生活感のようなものは共通している。それは後ろ向きの女主人の黒の服装に見て取られる。その黒と白の対比はフェルメール作品にもある。それは優れたモノクロームの映画作品にも看取できるものだ。アカショウビンは、その作品を観ていると、その時が止って描かれている作品の時空間と、それに正面している自らの存在に空恐ろしさを感じた。それは恐らく自らの日常の不安定の精神状態によるものなのだろう。それは言ってみれば芸術作品に出会う時の特有の場の力とでもいうものなのだろうが、それは改めて考察してみたい。

 会場は都心とはいえ上野など交通の便のよいところでないせいもあるのだろう。それほど混雑もなく、じっくり観られたのは幸いだった。

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2016年2月23日 (火)

30余年ぶりの「イル・トロヴァトーレ」

 先日の日曜日、久しぶりに上野の東京文化会館で公演されたヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」を観てきた。それはアカショウビンにとって30余年ぶりの体験だった。以来、このヴェルディ中期の傑作オペラはレコード、CDでさまざな録音を聴いてきたが生の公演は36年ぶり。4日間行われた他の日では外国人ソリストも起用したようだが日曜日の最終日は日本人のみ。しかも予定していたレオノーラ役が体調不良で降板。しかし代役が健闘した。最後のブラボー、ブラビーの声が公演のほぼ成功を示していた。

 無職で就活もしなければならないのに高い金を払って公演に行くかどうか迷っていた。その間にアカショウビンの愛聴盤であるトゥリオ・セラフィン指揮のミラノ・スカラ座管による1962年盤を久しぶりに聴いた。この作品トップと言ってもよい名盤である。アカショウビンは特にこの作品の狂言回し役のアズチェ-ナを歌うフィオレンツァ・コソットをこよなく愛聴している。その声の張りと強さは中国の青磁陶器の如き美しさを呈する。このような女声の声の美しさを聴く悦びは娑婆の日常を生きる苦しみのなかで福音の如き恩寵である。

 36年前の1980年、アカショウビンは大学を卒業し音楽事務所の事務局に職を得て社会人となった。わずか半年であった。しかしプロたちと接するなかで良くも悪くも貴重な時を過ごさせて頂いた。最後は「イル・トロヴァトーレ」の公演に関わった。演出はイタリア帰りの粟国安彦氏。指揮者のアルベルト・エレーデ氏とイタリア語で丁々発止の遣り取りの光景が想い起こされる。スコアを通してこのオペラの面白さを理解した。その時のアズチェーナ役の歌手も幕間のロビーにいらした。

 レコードやCDの録音とは次元を異にする生公演はいいものである。セラフィンの完璧ともいえる録音の完成度はない。しかし若いソリストたちのミスを超える生の面白さと緊張感がライブの良さである。それをアカショウビンは楽しんだ。それは記憶の彼方の経験を想い起こすことでもある。あの頃は現実と未来に将来の希望があった。それは現在の苦しい日常とは異なる。しかし、ゆるゆると終わりに向かう生活には活路を見出さねばならない。その中での公演鑑賞であったことは糧としなければならない。冥土の土産がひとつできた。もう少し娑婆を生きる力を得た思いである。

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ピレシュのライブ

 きのうの朝のNHKの「クラシック倶楽部」でピレシュの2013年来日ライブ演奏を放映していた。これは以前の再放送で以前に見た。改めて見聴きしてピレシュの音楽的成熟と人間的成熟を確認し悦ばしい。曲目はベートーヴェンのチェロソナタ第3番イ長調作品69。チェリストはアントニオ・メネゼス。番組冒頭にはバッハの無伴奏チェロ組曲の一つを弾いた。ピレシュとの共演も演奏と共に両者の人間的交流を現わして興味深かった。それはオーギュスタン・デュメイとのベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集でも同じ。ピレシュの基本姿勢である。そこにピレシュの演奏を聴く味わい深さがあると言ってよい。

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懺悔道の独創性

 田辺元の『懺悔道の哲学』(2010年 岩波文庫)の第3章は〝絶対批判と歴史性との連関〟とタイトルされている。その白眉はハイデガー評価と批判、ニーチェ評価と批判である。その後半はニーチェ哲学の独創と限界を田辺は自らの親鸞の『教行信証』読解によって説く。それは田辺の面目躍如というものである。それは西洋哲学を学び批判する面白さと言ってよい。冒頭に田辺は自らの哲学とした〝懺悔道〟について次のように説明していることは注意しよう。

 普通に懺悔と言えば過去の所行に対する後悔とそれに伴う無力感、つまり無力の意識から来る感情の消極的な―昂揚とは反対の―委縮・沈滞を意味する。かかる消極的な懺悔(Repentance)に関してカトリックはこれを徳とするも、スピノザは二重の無力と言う。過去に対する無力と現在において活動性を失う故の無力として二重の無力であり、従って美徳ではないと述べて居る。スピノザが二重の無力と極印を押した懺悔と私の懺悔とは相異なる。(同書p11)

 そして自らの懺悔道哲学を「無力の徹底が有力に転ぜしめられる、あるいは自己の放棄がかえって自己の存在を与えられると言う転換を意味することに注意して頂き度い」(同書p13)と述べる。

 自力でなく絶対他力が自力を媒介して能動的に達せられるところに妙機を見る。その論理は難解であるものの面白い。アカショウビンは併せてハイデガーのの『真理の本質について』(細川亮一訳 創文社 1995年)を読みながらハイデガーと田辺を介して時に日常の無力感を脱する機会を得るのである。

 

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2016年2月18日 (木)

此の世との別れの在り方

 一昨年の夏に公開された河瀨直美監督の新作「2つ目の窓」をレンタルDVDで観直した。監督が自負する最高傑作と言うのは宣伝用の大風呂敷のようにも思った感想は観直しても同じだ。とはいえ、監督の入魂の作品であることは充分に伝わる。特にヒロインの母親が死に至る過程の奄美の土俗の描きかたに監督の思い入れが集約されている。聞けば監督のルーツが奄美という。主役の二人の演技の稚拙はともかく、監督の演出は細部まで丹念にされているものの十分ではない。何事も完璧というのは稀有のことなのだ。しかし、作品に込める気迫はこの作品に通底している。それは人間が生きて死ぬ生き物であることへの作家魂とでもいうものである。

 物語は少年、少女の恋愛譚を基調に奄美の土俗を介して人の死が執拗に描かれる。少女の母は病で死に瀕している。母のイサ(松田美由紀)は病院で死にたくないと自宅に戻る。病状は日々悪くなる。その間の夫・徹(杉本哲太)や娘・杏子(吉永 淳)との愛に満ちたシーンも良いが圧巻は衰弱したイサの病床の周りに集まる近隣の人々の振る舞いである。イサは娘に「死ぬのは怖くないよ」と話す。それは強がりなどではない実に自然な言葉として演出されている。アカショウビンの亡き母も闘病の過程で、まったく同じ言葉を発した。そして臨終の前に奄美の古謡である「いきゅんなかな」を聴きたいと夫と娘に幽かな声で伝える。高名な唄者なのであろう男が見事な声と蛇皮線でそれを歌う。そのシーンはボーイ・ミーツ・ガール、ガール・ミーツ・ボーイの恋愛譚と共に、監督が細やかに演出した見事なシーンだ。松田の演技も、監督の演出も見事。死に逝く者の衰えた心身に最期の力を吹き込むように「いきゅんなかな」が見事に歌われる。標準語に訳すとタイトルは、去っていく恋人に「いってしまわれるのですね」という未練と残された者の哀感が込められた古謡である。その哀切がスクリーンに溢れた、監督の才覚が伝わるシーンだった。

 奄美生まれのアカショウビンも舞台の用安という集落は未知の土地だった。3年前に同窓会があり21年ぶりに帰省した。その時も通り過ぎるだけの土地だった。もっとも、その砂浜の美しさには改めて眼を瞠ったのだが。監督が捉える奄美の自然も台風の時の荒々しい高波を交えて良くメリハリが効いている。それはルーツがそうだとしても奈良で育った監督のヤマトンチュの視角は仕方のないところだ。しかしガジュマルの大木や奄美の自然は奄美で朽ち果てた画家・田中一村の見た風景でもある。そのことを改めて思い出させた作品だった。

 もう一点、指摘しておきたいのは、少年・少女の恋愛譚である。アカショウビンには既に興味の彼方の事であるが監督のモチーフには中心的な意味合いが込められていると思う、これまでの河瀨作品とは些か趣きを異にする物語性が強調されている。つまりこの恋愛譚を介して監督は奄美の土俗に分け入ったとアカショウビンには思われた。ヒロインの家族の家の壁には一村の作品も描かれている。それはともかく、多くの観客に興味があるであろう恋愛譚を意図的に監督は作品の機軸に据えた。しかし観る者の関心は様々である。還暦を過ぎたアカショウビンにはさほどの関心をそそらない。しかしヒロインの母親の死に至る過程は中高年、或いは河瀨監督にも軽視できない事実であろう。それが実に興味深かった。若い出演者には監督とスタッフの好みが反映されている。それはそれでよい。しかしアカショウビンのようなへそ曲りの観客には或る意味で作品の完成度を疎外する冗長を感じた。秀作といえど完全無欠ではありえない。監督の次の最高傑作に期待する。

 追記 パンフレットには奄美と縁の深かった島尾敏雄のご長男で写真家の伸三氏が寄稿しておられる。そのなかで、ヒロインが唄う「いきゅんなかな」は「良かったです」と書かれている。確かにそうだ。あの声の響きは繰り返し、繰り返し練習したものであろう。島で育った者には裏声にこめられる島唄の魂とでもいうものが直感的にわかる。そういうシーンだった。

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2016年2月16日 (火)

ピアニストとは何者か

 先日、あまりクラシック音楽を聴かないという若い友人から何かCDをくださいと依頼があった。幾つか選び形見にしてちょうだい、と進呈した。そのなかでもっともリアクションがあったのがマリア・ジョアン・ピレシュ(以前はピリスという表記だったが、こちらのほうが発音に近いのだろう)の若い頃のCDだった。それは嬉しいと今朝はピレシュが若い頃に日本で録音したモーツァルトのピアノソナタ全曲のうち一枚を聴く。若いピレシュの瑞々しい溌溂とした録音が素晴らしい。その勢いで他のピアニストのショパンの作品も幾つか聴いた。アカショウビンが好きなのはマズルカ。とりあえず全曲を録音しているショパン弾きサンソン・フランソワを。う~む、これでは納得できない。ミケランジェリには程遠い。ではルービンユタインは、と探すとCDはポロネーズしかない。それではとレコードを探す。しかし面倒なのでポロネーズを聴く。作品26の一番の出だしの音に腰を抜かしそうになった。まるで政治家が憤り机を叩いて演説しているようではないか。やれやれと思いながら聴き続けるとピアニシモ、ピアノシッシモにはショパンの優美さが聴きとれる。それを聴きながら心安らいだ。

 かように、ピアニストは、さまざま。聴く方には自ずと好みがある。一応は大ピアニストから聴けば好き嫌いが生じてくる。音楽はできるだけ好みで聴く方がいいのだ。しかし時に不快な音を出すピアニストもいるのは仕方がない。入院していた時にボランティアコンサートがあった。こちらは点滴を持ち歩きながら会場に辿りついた。ふくよかな若い女性ピアニストで期待して聴いた。しかし最初のモーツァルトがなっていない。モーツァルトの難しさが身についていない。ショパンはまあまあ。最後はジャズで締め括ったがジャズになっていない。英国の音楽院を卒業した優秀なピアニストなのだが、このような演奏もある。無料のコンサートだから文句をつけるわけにもいかず目礼だけして病室に戻った。

 日本人のソリストはピアノに限らず女性が多い。ヴァイオリンは先のブログで讃嘆した五嶋みどりさんや多くのソリストがいる。そのなかで今や成熟の盛りにあるピレシュの録音を聴く楽しみは冥土の土産以外の何物でもない。

 ピアニストは蛮族というのは中村紘子さんの名言(迷言?)だが、ルービンシュタインのポロネーズを聴くと、なるほどと納得できる。あの激しさがショパンの本質を抉るためには必要なのだ。蛮族とはともかく、ピアニストとは何者か、という問いも生じる。とりあえず幾つかのピアニストの録音を聴くに如かず。ピレシュの瑞々しくも清々しいモーツァルトは娑婆の掛けがえのない妙音であることは実感する。

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2016年2月14日 (日)

幻のピアノ・リサイタル

 昨年、入院しているときテレビを見ながら退院したら是非とも聴きたいピアニストのリサイタル情報を知り予約を入れた。11月28日に都内のホールで開催される予定だった。ところが中止の知らせが。理由は病気によるものだった。91歳のご高齢でもあり日本から中国までのツアーだったらしい。それでは仕方がない。幻のリサイタルとなってしまった。もう一度聴く機会があればいいが。

 メナヘム・プレスラーというピアニストは日本にも度々訪れてファンも多い。アカショウビンはハイドンのピアノ・トリオの録音で聴いていた。一度は生で聴きたいピアニストなのだった。その機会は残念ながら今回は叶わなかった。ご長寿を心から祈り再演を心待ちにしたい。

 その幻の演目を記し次回の楽しみにしよう。①モーツァルト ロンド イ短調 K.511 ②シューベルト ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 「幻想」 作品78、D.894 ③シューマン 主題と変奏 変ホ長調 (最後の楽想による幻覚の変奏曲) ④ショパン 3つのマズルカ 第5番 変ロ長調 作品7‐1 第7番 ヘ短調 作品7‐3 第13番 イ短調 作品17‐4 ⑤バラード第3番 変イ長調 作品47

 ピアノ・リサイタルは久しく聴いていない。かつて若い頃にモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲を日本で録音し鮮烈な印象を与えたマリア・ジョアン・ピレシュのリサイタルも今生の思い出に冥土の土産として聴いておきたい一人である。昨年秋に来日したようだが次はいつになるのか。とりあえずはCDで聴くに如かず。若き頃のモーツァルトや最近のショパンを聴きながらリサイタルを楽しみにしたい。

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2016年2月13日 (土)

懺悔道・メタノエティク

 以前、田辺 元を読み直す新書を紹介した。それは現在の政治状況に関わる先の大戦に関わった日本国の現在に影響する事柄と出来事とアカショウビンは解する。その書で興味を惹いたのが敗戦後の田辺の京都大学での最終講義ともなった〝懺悔道〟という論考だった。きのうから、その『懺悔道としての哲学』という田辺の哲学を4分冊の文庫にした一書を読み出し面白い。面白いなどと書いてはこの実直で生真面目な哲学者に失礼だろう。しかしハイデッガー読者のアカショウビンには実に生き生きと当時の哲学思想が展開されていて刺激されるのである。

 〝懺悔〟という用語から人はキリスト教的な悔い改めを想像するだろうが田辺はそれとは異なる意味で使っていることを最初に断っている。それは田辺哲学として現在まで熟思するに値することをアカショウビンは直感する。とりあえずタイトルの説明をしておけばメタノエティクとは田辺が依拠した親鸞仏教の立場と対立する西洋哲学の立場を明かしたギリシア語由来のドイツ語を使った造語である。

 いずれ通読してから感想と分析、批評を述べたい。

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2016年2月 9日 (火)

音を奏で、出す

 早朝の音楽はミカラ・ペトリのリコーダー・リサイタルを衛星放送で楽しむ。これは以前に観たものの再放送。独奏と夫とのリュート、ギターのデュオは何とも心安らぐ。大小幾つかの楽器を使い分けての演奏は悦楽、楡楽の如し。デンマーク民謡を元に自ら作曲した作品では小さなリコーダーがバグパイプのような音も出したのには驚いた。変幻自在とはこういうことだろう。リコーダーは口を通して喉の震えも音にできる。それは尺八もジャズ・トランペットも同じだ。マイルス・デイビスの音も然り。それは吹奏楽器の得意とするところである。

 それとは異なる楽器が打楽器。和太鼓やジャズのドラムス、クラシックのティンパニーは叩くことで様々な音を出す。そこには何かを伝えるメッセージも含まれている。先日、『尼僧物語』(1957~1959年 フレッド・ジンネマン監督)をレンタルDVDで観た。好きな監督なのである。『真昼の決闘』(1951年)、『地上より永遠に』(1953年)、『ジュリア』(1976年)の名作は何度観ても新たな発見がある。『尼僧物語』は実際の尼僧の体験を映画化したもの。オードリー・ヘップバーンが見事に主役を演じている。その匂うような気品は自らの演技への精進と監督の演出の手柄である。149分の長尺。多少の冗長さはある。特に前半部の修道院の場面はエンターテイメントを期待する観客には退屈にもなるだろう。しかし一人の尼僧の生涯を描くときに、そのシーンは不可欠なのだ。それは厳格な仕来たりで生活する過酷さを伝えなければならないからだ。そこを凝視しなければ原作と作品の意図するところは掴めない。アカショウビンは劇場公開とは異なるDVDのおかげで何度か繰り返し観てその理由を納得した。その感想は後に記すこともあるだろう。

 それはさておき、ここではその後半部のアフリカ・コンゴ(後のザイール)のシーンに刺激された。土地の人々が太鼓の音で来客(オードリー)の訪問を音で伝えるというシーンだ。それはオードリーたちの文明国のヨーロッパ人からすれば奇矯と感ずるものかもしれない。しかしアフリカを発祥の地とするジャズの音の起源はそこにある。ジャズのドラムスの面白さの淵源はそこだ。それはアカショウビンが敬愛するデューク・エリントンのピアノにも聴きとれる。デュークのピアノは叩きつけるような奏法である。それは叩くというより弾く。そこにはオーケストラでは伝えられない一人のピアニストの意志を聴きとる。そのような経験は楽器それぞれが持つ人間精神の響きを伝えるものといってもよいだろう。

 アカショウビンが小学校のときに最初に音を出し愉しんだのはカスタネットとトライアングル、木魚だった(笑)。小学校とはいえ小さなオーケストラがあった。音楽に熱心な先生がいて、〝さざなみバンド〟という名称だったがヴァイオリン、チェロ、木琴、鉄琴も揃えていたから小さなオーケストラと言ってもよいだろう。アカショウビンはそこでチェロを弾いたのが自慢だった。しかし日常的に音を出して楽しんだのはリコーダー。それでついた渾名が〝笛吹き童子〟。それはともかくリコーダーという楽器にはそれで愛着があるのだ。

 ミカラはバッハも奏した。そこにはヨーロッパで連綿と続く伝統の音楽が聴き取られる。アカショウビンも不眠の夜はハンス・ブリュッヘンがリコーダーで奏でるバッハの無伴奏チェロ組曲のリコーダー演奏を寝入りの音楽とすることがある。昨夜は1時間くらい眠っただけで眼が覚めた。あれこれ黙想していると眠られなくなり衛星放送を見るまで雑事にかまけた。そしてミカラのリサイタルの再放送に遭遇したのだ。

 リサイタルのあとブルックナーのアベ・マリアを放送した。敬虔なカトリック教徒だったブルックナーは9つの交響曲が有名だがこのような合唱曲にも交響曲に聴ける響きがある。ブルックナーがオルガンの響きに魅了された場所は、以前は聖フローリアン教会と記されていたのではなかったか。正確には修道院である。そこでかつて朝比奈隆は大阪フィルとブルックナーの第7交響曲を指揮した。アカショウビンはレコードでそれを繰り返し聴いた。テレビで修道院の中が見られたのは幸いだった。それは『尼僧物語』でオードリーが演じた尼僧たちが修行する修道院という空間である。それは禅寺の空間とも共通している。それはヨーロッパの修道僧が鈴木大拙に伝えたメッセージである。『尼僧物語』の映像はそのような連想を惹起した。

 ところで先日、若い友人のお誘いで都内の劇場で大衆演劇を観て来た。映画と異なり生の舞台はアドリブが楽しい。しかしその音響の悪さには辟易した。音響技術の進歩はアカショウビンは自ら体験している。デジタル音響がアナログを超えていないことは科学的に証明されている。それが現在の日本人も外国でもデジタル音響の欺瞞に騙されているのではないか。それはまた別の話だが。

 それともうひとつ。『尼僧物語』で描写されている宣教師たちは撮影終了後に起きた革命で地元民たちによって殺された。それは『フレッド・ジンネマン自伝』(北島明弘訳・1993年・キネマ旬報社 p264~265)に説明されている。それは異なる文化の融合がいかに至難なことかという現実の突き付ける事実である。それは戦争を介した日本と諸外国との歴史の事実でもある。オードリーの後半生の巡礼者のような生き方はこの作品が一つの契機となっていることを推察させる。アフリカでの文明の衝突は現在も中東でも続いている。それを乗り越えるのは何か。そのような沈思にも赴かされたことは付け加えておこう。

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2016年2月 1日 (月)

不眠症の功徳

 昨夜の飲み過ぎて気分が悪くなり、早めに床に就いた。少し眠れて深夜過ぎに眼が覚めた。いつものようにラジオを聴いて二度寝しようとしたが話が興味深い。NHKの深夜便は午前4時過ぎはインタビュー構成である。今夜は海外の難民支援に精力的に働いておられる50代後半の人。若い頃にヴィエトナムからの難民とも出会い、それが契機となり社会人になって精力的に難民支援に従事しているという方だ。アナウンサーの素っ頓狂な質問にも誠実に応えられ、お人柄が彷彿する。何でもカトリックの神父さんらしい。海外を飛び回られて各国の難民と会っておられる体験談は実に興味深かった。日本が難民支援では酷い後進国であることも改めて知った。不眠症の功徳というものもあるのである。

 先日観た『希望の国』(2012年 園 子温監督)は佳作である。舞台は福島原発後の架空の東北地区に起きた場所に住む人々を描いている。現在の福島の現状を想起させる内容である。畜産農家の現実を通し現状を告発する内容だ。そのなかで退避命令が出て新婚の息子夫婦には強固に立ち退きを薦め、自分たちは頑固に自宅に居座る老夫婦を夏八木 勲と大谷直子(以下、敬称は略させて頂く)が演じている。夏八木が亡くなる前の作品としても記憶される。病で死を覚悟しているのかもしれぬ存在感が見事。役柄は福島原発を経験した男という設定である。そのなかで、この作品が発しようとするメッセージとも思われるシーンがある。夏八木が叫ぶ声だ。国は助けてくれない、国は事実を隠すぞ、というところ。それは私たちがフクシマ原発で明確に認識した事柄である。この作品は父・息子の愛情や家族愛が丁寧に描かれている。フクシマの風景は何度みても苛烈で過酷である。それを映像として見るとき人はこの世の自然と人間の生というものに正面させられる。そこに流れる音楽はアダージョだけで完成する事ができなかったマーラーの第10番交響曲。その静謐さと鎮魂の感情は映画で描かれる惨憺たる風景と物語に寄り添うには見事な効果をあげていることも特筆しなければならない。

 話は飛ぶが、辺見 庸は先の朝日新聞のインタビューで〝市場経済と言葉〟の関係について次のように述べている。

 「この社会システムが必要なのは購買者・消費者としての人間であって怒る人間とか変革する人間ではないということだと思うんです。『人間』を締め出していると言うんですかね。疎外ということです。ぼくらは歴史をつくる主体だと教え込まれて生きてきたけど、果たしてそうであったのか。歴史の主体ではなくて、歴史の対象なんじゃないでしょうか」

 その言や好し。マスコミは取材対象に群がる糞蝿だ、と吐き捨てた辺見のマスコミ批判はインタビューの中の次の箇所にも表記されている。

 これは 『1★9★3★7』(辺見 庸著 2015年10月27日 株式会社金曜日)でも指摘した箇所だ。昭和天皇が1975年10月31日に内外の記者50人を前に行った記者会見である。戦争責任に関して英紙タイムズ記者の質問への答えだ。「そういう言葉のアヤについては(中略)よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」。広島の原爆には地元中国放送の記者の質問に「気の毒ではあるが、やむを得ないこと」と答えた。

 辺見の著書によると正確には次の通りである。「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。この事に関しては辺見は著書の中で茨木のり子の詩「四海波静」を引いて異議を書きつけている。詩人は次のように書いた。天皇の言葉に対し、思わず笑いが込みあげて どす黒い笑い吐血のように 噴き上げては 止り また噴きあげる (同書 p306~p307)。

 先日、県民共済の入院保険額の件で、支払いは出来ない、と加入期に払い込んだ全額と病院に作成してもらった診断書の請求金が払い戻された。地方自治体にしてかくの如しである。況や国家というのは国民を戦争に駆り出し、駆り立て殺すシステムである。それは新藤兼人の『一枚のハガキ』で痛烈に発されたメッセージである。そんなものに頼って生きてはいけない。自立、自活し、したたかに国家に抵抗する、余生のスローガンはこれである。

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