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2016年2月23日 (火)

30余年ぶりの「イル・トロヴァトーレ」

 先日の日曜日、久しぶりに上野の東京文化会館で公演されたヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」を観てきた。それはアカショウビンにとって30余年ぶりの体験だった。以来、このヴェルディ中期の傑作オペラはレコード、CDでさまざな録音を聴いてきたが生の公演は36年ぶり。4日間行われた他の日では外国人ソリストも起用したようだが日曜日の最終日は日本人のみ。しかも予定していたレオノーラ役が体調不良で降板。しかし代役が健闘した。最後のブラボー、ブラビーの声が公演のほぼ成功を示していた。

 無職で就活もしなければならないのに高い金を払って公演に行くかどうか迷っていた。その間にアカショウビンの愛聴盤であるトゥリオ・セラフィン指揮のミラノ・スカラ座管による1962年盤を久しぶりに聴いた。この作品トップと言ってもよい名盤である。アカショウビンは特にこの作品の狂言回し役のアズチェ-ナを歌うフィオレンツァ・コソットをこよなく愛聴している。その声の張りと強さは中国の青磁陶器の如き美しさを呈する。このような女声の声の美しさを聴く悦びは娑婆の日常を生きる苦しみのなかで福音の如き恩寵である。

 36年前の1980年、アカショウビンは大学を卒業し音楽事務所の事務局に職を得て社会人となった。わずか半年であった。しかしプロたちと接するなかで良くも悪くも貴重な時を過ごさせて頂いた。最後は「イル・トロヴァトーレ」の公演に関わった。演出はイタリア帰りの粟国安彦氏。指揮者のアルベルト・エレーデ氏とイタリア語で丁々発止の遣り取りの光景が想い起こされる。スコアを通してこのオペラの面白さを理解した。その時のアズチェーナ役の歌手も幕間のロビーにいらした。

 レコードやCDの録音とは次元を異にする生公演はいいものである。セラフィンの完璧ともいえる録音の完成度はない。しかし若いソリストたちのミスを超える生の面白さと緊張感がライブの良さである。それをアカショウビンは楽しんだ。それは記憶の彼方の経験を想い起こすことでもある。あの頃は現実と未来に将来の希望があった。それは現在の苦しい日常とは異なる。しかし、ゆるゆると終わりに向かう生活には活路を見出さねばならない。その中での公演鑑賞であったことは糧としなければならない。冥土の土産がひとつできた。もう少し娑婆を生きる力を得た思いである。

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