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2016年1月21日 (木)

新作映画、「失われた歌声」

 先週、友人から頂いた招待券で渋谷の映画館へ。久しぶりに訪れる劇場だ。いつか新藤兼人監督の新作を観た劇場だ。今回は西アフリカ・マリ共和国を舞台にした作品。フランスのセザール賞を7部門受賞したという。フランスでは百万人が観たらしい。パンフレットの宣伝文句は「全世界が慟哭した」、とか。監督はアブデマラン・シサコ。アカショウビンは初見である。昨年のアカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされた、というのでは観ないではいられない。ところが劇場の観客は上映前に7~8名、上映開始には10名くらいしかいない。そのためスクリーンに集中できたのは幸い。舞台は世界遺産の美しき街、西アフリカの古都マリのティンブクトゥ。原題はそのティンブクトゥ。邦題は『禁じられた歌声』だ。

 2012年にマリ北部の町、アゲホルクで実際に起きた事件に触発されたシサク監督が映画製作を進めた、と解説されている。事件とはイスラム過激派による若い事実婚カップルの投石公開処刑だ。登場するトゥアレグ族は元が遊牧の民でイスラム社会でも珍しい女系社会という。その地で音楽やスポーツを愛する人びとが住む地にイスラム過激派の影が落ち始めたのは21世紀初頭らしい。砂の土地の景色はあの『アラビアのロレンス』を想起させる。あの砂漠の砂の美しさは格別だった。ピーター・オトゥール扮するロレンスが拳銃を片手に咆哮し軍を率いるシーンは輝かしく脳裏に残っている。そのような記憶を呼び起こすシスコ監督作品はアラビアと異なる西アフリカの砂漠の光景で展開する物語だ。それは悲劇であるが現在も世界の各地で起きているものだろう。それを監督は映像にした。それに多くののフランス人たちが反応した。それはパリでのテロとなって現実に起きた。現実は映画となり映画は現実となる。

 音楽も効果的だ。民族音楽の素朴さは洋の東西南北を問わない。我が奄美の古謡ともそれは共振してしている。素朴とは何かという問いも生じるがそれはさておく。

 本日は読みさしのハイデッガーを読み継ぐ。『論理学の形而上学的な始元諸根拠』は、1928年夏学期のマールブルク講義である。副題は‐ライプニッツから出発して‐。「存在と時間」を刊行してさらに思索を持続するハイデッガーの声が響いてくる。ライプニッツを精読し、その思索を受け継ぎ解体することで新たな視界を開こうとするハイデッガーの意志が伝わる。我が国ではライプニッツ研究の第一人者、下村寅太郎の著作も思いだす。アカショウビンは、氏の日露戦争時の東郷平八郎提督率いる帝国海軍とロシア・バルチック艦隊の日本海海戦を分析した著作が面白かった。『世界の名著』(中央公論社 昭和41年)の第25巻はライプニッツとスピノザである。その付録で下村氏と古田 光氏が対談している。下村氏は昭和13年に『ライプニッツ』を書き、ライプニッツの論理学と数学に関心を持っていた、と話す。そして現在(昭和41年頃)は、政治とか宗教とかいう実践的な方面に自ずと関心が移っている、と述べている。下村氏も当時のハイデッガーに触発されただろう。アカショウビンも『モナドロジー』を読みながらハイデッガーの思索を辿っていこう。

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