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2016年1月26日 (火)

現在は戦時か

 神奈川新聞のインタビューで辺見 庸氏が話している。若い記者で辺見の著書をどれだけ読んでいるかどうかはともかく、辺見の気迫に臆している様子は記者のナイーブさだろうが物足りない。そこで辺見は現在の日本は戦時だと断じている。それは、この10数年の日本の政治状況を見れば熟思しなければならない指摘だ。記者もジャーナリズムも多くのジャーナリストもそこまでの危機感はないだろう。もちろん日本国民も。むしろ昭和元禄ならぬ平成元禄を謳歌しているように見えるのはアカショウビンの錯覚だろうか。

 また朝日新聞1月21日の朝刊にも辺見のインタビューが掲載されている。安倍政権が戦争法(安保法)を本気の死に物狂いで憲法改憲に突っ走っている現実を辺見は危惧し現在が平時でなく戦時だと考えるのだ。その言や好し。記者は憲法改正に対する安倍政権への反対の国民の声の大きさは侮れないのではないか、と水を向ける。それに対し辺見は苛立つように「安保法制なんて、周辺事態法を設立させてしまった1999年から決まり切ったことじゃないですか」と答える。さらに記者がSEALDsのような若者の行動は新鮮だったと話すと、あれは「現象」だとは思うが、ムーブメント(運動)だとは考えていない、という発言にアカショウビンも共感する。そして欧米でのサミットに反対するデモが資本主義のあり方そのものに反対していることに日本との違いを指摘する。「日本とは『怒りの強度』が全然違う」と。さらに安倍政権が現状をこれ以上悪くすることへの反発は認めながらも「どこか日本的で、むしろ現状維持を願っている感じがしますね」とも。「怒りの芯がない」と言うのも現状に対するアカショウビンの認識と同じだ。現状は、かつての日本ファシズムと本質が変わっていない、という辺見の指摘も同意だ。それは辺見のいう「戦時」という判断を斟酌すればだが。それには多言を要する。辺見が依拠している丸山眞男の著作にもあたらねばならない、また丸山を批判した吉本隆明の論説も介さなければならないからだ。

 先日、「一枚のハガキ」という新藤兼人監督が2011年に公開した映画をレンタルDVDで久しぶりに観直した。監督が遺言のように残した傑作である。アカショウビンは当時、渋谷の劇場で観て、その完成度に感嘆した。寿命の尽きようとする人間が残したそれは遺言と言うしかない作品だ。先の戦争への一人の映画人の渾身の発言である。それは広島生まれの監督が終生こだわる先の大戦への違和と抵抗である。奈良の天理教本部に召集された100人のおっさん兵のうち94人が死に、生き残った6人のうちの一人が妻から受け取った一枚のハガキを戦友が死んだら自分は筆不精で書いても検閲で届かないかもしれないから、そのハガキを持って、お前の気持ちはわかった、と伝えてくれという願いを叶えるために戦友の妻を訪ねるという物語である。殆ど忘れていたカットも多かったが広島の神楽舞のシーンなど実に鮮烈で面白い。監督の強烈なメッセージが伝わる。それは初期の『裸の島』のシーンも回顧されていて正に新藤兼人の集大成の如き作品に仕上がっている。初見の時の感想にも書いたけれども個々の役者への不満はある。しかし、それを超えて新藤兼人という人の強烈な気迫とメッセージをアカショウビンは新藤作品を見続けてきて痛感した。多くの人に観て頂きたい作品である。

 それはともかく、辺見 の近刊『1★9★3★7』(辺見 庸著 2015年10月27日 株式会社金曜日)は出版社を変えて増補版が刊行されたらしい。その増補箇所には興味がある。その感想は後日。

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