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2016年1月26日 (火)

現代音楽の不安

 西洋クラシック音楽という領域で20世紀から21世紀にかけての、いわゆる〝現代音楽〟がとっつきにくいものだ、という実感は若い頃から感じてきた。しかしアカショウビンはベートーヴェン、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディの作品を聴き続けてきて先般亡くなったピエール・ブーレーズを追悼する気持ちで彼や他の音楽家が指揮や演奏するシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの作品を聴きながら以前とは異なる感想も生じたのでそれを少し辿ってみよう。

 それは存在論的にいえば人間の感ずる〝不安〟とは何か、という問いになる。先日、ヴァイオリニストの五嶋みどりさん(以下、敬称は略させて頂く)のN響との来日公演で演奏したショスタコーヴィチの協奏曲を聴いて感じたことである。その音楽の中にも〝不安〟は気分として音になっていた。今、改めてイ短調・作品99の協奏曲の別録音を聴いて改めて実感する。それは先の各音楽家たちの作品にも共通するもののように聴く。

 不安とは何か、それは人間が生きていることに困難を感じる時に生じる現象である。国家が戦争状態になれば多くの国民に生じる心理でもある。音楽家も時代を反映して作品を紡ぐ。それが先の音楽家たちの作品に聴きとれるのである。そういう意味では西洋音楽の伝統はグレゴリオ聖歌、バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、モーツァルト、マーラーから先の音楽家たちに連綿として引き継がれている。しかし、それを受け継いだ浪漫派の音楽家たちから20世紀のシェーンベルクほかの〝現代音楽〟には或る断絶のようなものがある。それはソナタ形式に代表される古典的な音楽様式が現代音楽の音楽家たちのよって〝解体〟されたことによる。音楽家をはじめ芸術家と称される人びとは個と時代を反映する存在と言ってもよろしかろう。それをアカショウビンは彼らの作品を改めて聴いていて感じるのだ。ブーレーズの死ということは現代音楽の演奏と指揮、あるいは前世期初頭を生きたマーラー作品の指揮を聴き直し感じることである。

 もうひとつ踏み込んで言えば西洋の現代音楽は数学的な発想に基づいている。楽譜の音ひとつに数学的な基礎を置くのは既にバッハの音楽の中に萌芽が聴きとれる。それを集約していえば近代という時代区分の中で西洋社会に生じた現象ともいえる。それの是非はハイデッガーが生涯かけて論じている。

 それはともかく、現代音楽を聴きながら好きな映画を観、関心ある書物を読みながら生きるのがアカショウビンの日常である。

 

 

 

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