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2015年12月 8日 (火)

日々雑感

 

先の大戦の開戦日にあたり歴史をふりかえることは三島の死とも関連してくる。それにはいま読んでいる本がよい参考になる。『1★9★3★7』(辺見 庸著 20151027日 株式会社金曜日)だ。その感想を含めて少し書いておきたい。辺見 庸(以下、敬称は略させていただく)の考えの論点のひとつは次の指摘だ。「ニッポンの近代権力は道徳と情緒の領域にみずからの根をはりめぐらせた」(同書 p231)。これに関連する論点は丸山眞男や吉本隆明はじめ内外の識者の作品、論考を挙げている。歴史に新たに正面するため多くの若い人たちにお薦めする。

1937年とは南京大虐殺事件が起きた年である。辺見は1996年に行われた日中国交回復25周年の前年、中国国内10万人以上のアンケートで日本と聞いて連想するものは、という問いに答えた回答の83.9%が南京大虐殺だったということに驚く。アカショウビンもその事ははじめて知った。日本軍が南京への総攻撃を始めたのは1937年の1210日。陥落したのは13日だ。この〝歴史事実〟に関連した小説やルポルタージュは多い。日本でこれが大きな物議を醸したのが当時朝日新聞の記者だった本多勝一氏の『天皇の軍隊』(朝日文庫)などの著作、記事がある。アカショウビンもその著作で事件の概要と詳細を知った。これに対抗して書かれたのが『南京大虐殺のまぼろし』(文春文庫 鈴木 明 19831125)、『新南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社 1999年6月3日 鈴木 明)だ。アカショウビンは事件の事実はこれらの両方の論考を読み解かないと判明しないと考える。しかし歴史事実は歴史事実だ。それを幻だとか嘘だとかいう言説、論説は論外。歴史事実は事実から検証されなければ空想、夢想、愚想でしかない。アカショウビンの感想、論考もそこから発語するものである。

ところで辺見はこの論考を始めたきっかけになった小説作品として、『時間』(堀田善衛)を挙げている。同じ作家として同事件に関しては堀田のこの作品の優れた視点を強調する。また兵隊として中国戦線に従軍した作家として堀田とは異なる視点から書いた生々しい作品として武田泰淳の『汝の母を!』(武田泰淳全集 第5巻所収 筑摩書房)。これには開高 健が解説を書いているという。『生きている兵隊』(中公文庫2013年 第11版 石川達三)は徹底して批判している。アカショウビンはいずれも未読。外国では『アジアの戦争』(筑摩書房 エドガー・スノー 1941年 森谷巌訳)、1970年前後では『中国の赤い星』など。アカショウビンはこの作品で米国のジャーナリストが見た中国戦線のもようの一端を知った。また辺見は小林秀雄の戦中、戦後の批評活動に関して戦争加担者として批判している。これは小林の読者であるアカショウビンはいずれコメントするつもりだ。

またアカショウビンの関心領域である映画作品では先ごろ亡くなった原 節子の『新しき土』のDVDも観て感想を述べよう。当時の日独の交流から制作された作品だ。その後、原を日本を代表する女優に仕上げた小津安二郎監督を題材にした書物では『小津安二郎周游』(田中眞澄(岩波現代文庫)、『小津安二郎と戦争』(みすず書房)をあげている。これも辺見は痛烈に批判している。これについてもコメントを書かねばなるまい。また美術では浜田知明の『初年兵哀歌 風景』も挙げている。これはこのブログで感想を述べた。実に優れて挑発的な作品だ。もうかなりの高齢だがお元気のようだ。時間とカネと機会があれば熊本の美術館は一度くらいは訪問したいが。

とりあえず同書を通して暮れの喧騒のなかで日本の歴史を改めてふりかえり現在の世相、世情と絡めて感想を書いていく。三島のこともその中で少し書ければよいが読んだ著作も数度の引っ越しで散逸している。それに手術後の余命がどれほどあるか知らない。吉本隆明の当時のコメントを含めて橋川文三氏の保田與重郎批判と絡めて関心ある読者には引き続き感想、意見を書いていきたい。

 

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