« 絶滅危惧種の秘かな愉しみ | トップページ | 忘年会と奇遇 »

2015年12月23日 (水)

東京物語

 衛星放送で小津安二郎監督の『東京物語』を放送している。後半からだが改めてこの小津監督の代表作を観て、辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)の批判に対する小津擁護の根拠を見つけたように思う。それは、この作品に通底する日本人の死生観である。それは洋の東西を問わない、人間の生き死に対する姿勢が明確に映像化されていると確信するからである。たとえ小津や辺見の父親が従軍で日本軍の蛮行を目にしたり自ら行ったとしても、日本という国の風土で日本人の死生観は、この作品の中に凝集されている。この作品が欧米の映画人により高い評価を受けたことが日本という国の歴史の特殊性を含んでいるように思う。その意外性が象徴的なのだ。それは辺見にとっても百も承知、五百も合点だろう。それでも小津作品を批判しなければならない辺見の根拠は理解する。それは中国戦線はじめ南洋、東南アジア、沖縄での皇軍(日本軍)の蛮行にたいする辺見の純粋ともいえる罪の意識と恥、不快感であることをアカショウビンも共有する。しかし、このような日本人の誇りといってもよい作品を繰り返し見て、その矛盾ともいえる境界に生きる我々日本人の仏教で説く業を痛感することも確かなのだ。

 そのような死生観は古代から培われ醸成されたもので神道や仏教の死生観と密接に関係している。それまで宮廷文化の担い手としての天皇家が幕末から明治の西洋文化との相克で富国強兵の思想基盤として利用された。その結果が先の大戦の終結で日本独特の変貌を遂げた。それを三島由紀夫は嘆き、戦後の日本に鼻をつまみ、自裁した。その渦中に我々は生きている。70年間のパックス・ジャパンは今後どれだけ続くのか、その岐路に私たちは生存しているというパースペクティブは持たなければならない。そこからしか政治選択もありえない。

|

« 絶滅危惧種の秘かな愉しみ | トップページ | 忘年会と奇遇 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/62923786

この記事へのトラックバック一覧です: 東京物語:

« 絶滅危惧種の秘かな愉しみ | トップページ | 忘年会と奇遇 »