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2015年12月10日 (木)

原 節子追悼

 遅まきながら追悼する。ご長寿で何より。週刊誌では特集も組まれていて、いちおう眼を通した。レンタルDVDでは追悼のために『新しき土』(1937年 アーノルド・ファンク監督)を観た。原題は『Die Tochter Des Samurai』。訳せば「サムライの娘」。ドイツ人監督が撮った原 節子16歳の作品だ。小津作品の完成度に比べれば作風の違いは歴然。しかしドイツ人らしく構成はしっかりしている。原(以下、敬称は略させて頂く)の振袖姿や洋装のエレガントさはファンには興味深いだろう。この作品は当時のドイツ人が観た日本と日本人という点でも面白い。日本を彼らは火山国として見ていて物語の初めと終わりはそれでまとめている。また当時の同盟国ドイツが日本を満州国に希望を託す国家として認めていることがわかる。それは両国の国策のもとに作られている作品だ。その資料性も興味深い。しかも1937年、南京大虐殺のあった年である。
 先日はテレビで『東京物語』も放映されていた。原を語るには小津作品が欠かせない。この20数年は繰り返し観てそのたびに新たな発見がある。名作とはそういうものだろう。しかし前回紹介したように辺見 庸氏の小津批判もある。小津論は作品を熟視することからしか始まらない。それにしても16歳の原は後年の小津作品の慎ましさと少女らしい無邪気さが既にあふれている。当時、原はドイツに招かれナチスのゲッベルスとも会い、帰国の途中アメリカにも寄り米国の監督とも会っている。作品は酷評されたようだが。

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