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2015年12月27日 (日)

忘年会と奇遇

 本日といっても曜日は変わったが都内で午後3時から早めの忘年会。ところが高校時代の友人N君からのメールで近くの公会堂で無料のコンサートがあるという。忘年会も終わりかけのころ早く来ないと入場料を500円払わなければならなくなるとメール。こちらはアルコールでいい気分。ゆっくり辿りついたらN君はロビーで少しイライラしながら待っていてくれた。持つべきものは友である。N君には先日『ブリッジ・オブ・スパイ』という映画の招待券も頂いて世話になったばかり。今回はオーケストラが聴けるのだから500円は安いものだと喜んで払った。大学オーケストラであるしカンパである。

 指揮者は初めて聞く人だが履歴を読めばそれなりのキャリアを積んだ中堅。しかしオーケストラは未熟。最初がロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲。有名曲である。それを聴きながら次のビゼーのカルメン組曲第1番の途中からアルコールが回り出したのか居眠り。N君に聞いたら鼾はかいていなかったといったが組曲の最後のシンバルの音で目が覚めた。N君も苦笑い。

 いやいや恐縮、と次のベートーヴェン交響曲第5番に期待し気合いを入れた。しかし、この作品を生で聴いたことがあったか記憶にない。レコードとCDでは何百回も聴いている。見れば、指揮者も気合い十分。しかしオーケストラがその気合いについていけない。音は外すし弦楽器はムラがある。管楽器も素人に毛が生えたくらい。テンポも指揮者の指示が多すぎてオーケストラは時に乱れる。

 フィナーレが終わり最後の音が終わる前に、なんと指揮者はさっさと指揮台を降りたのにはたまげた。あれは怒りでもあったろう。しかし相手は大学オーケストラである。それまで厳しい練習をしたにちがいない。最後の勝利のフィナーレを締め括り悠然と会場の拍手を受けて舞台袖に去るのが指揮者の役割というものだ。しかし或る程度の怒りは示さなければならないという、これまた指導の意味を表明したのかもしれない。それはアカショウビンのような素人にもわかるレベルの話である。それはともかく、久しぶりの生オーケストラは残念ながらN君には正直に文句タラタラで帰途についた。

 コンサートで酔いも覚めた。アパートに戻りラジオをつけると夏のバイロイト音楽祭の録音を放送している。ワーグナーの『ニーベルングの指輪』の第3夜「ジークフリート」の途中だ。これ幸いと最後まで聴いた。ラジカセなので音は決して良くない。しかし観客の反応はわかる。時にブーイング。どうも演出に対するものらしい。去年もそうだった。今年は少し称賛の拍手も少なくなかったようだが。さすがに大学オーケストラとは異なるレベル。しかし少し音が外れた箇所もあった。世界のトップレベルの歌手の声は厳選され、それなりのものだ。観客とラジオの聴き手の楽しみは指揮者とオーケストラ、演出、歌手である。オペラ(ワーグナーは〝楽劇〟というが)好きは毎年それを喧しく喋々する。

 アカショウビンの暮れはベートーヴェンの第九の毎年異なるCDを聴くのとクリスマスはバッハの『クリスマス・オラトリオ』。それからワーグナーのリングである。先日はお宝のクナッパーツブッシュ指揮の1956年盤を聴いて過ごす。戦後のバイロイトの絶頂期の録音と心得ている。このフルトヴェングラーと並ぶワーグナー指揮者の録音はアカショウビンの娑婆での貴重な愉しみのひとつなのである。先日は第二夜『ワルキューレ』を聴いた。明日は『ジークフリート』を聴く。NHK・FMでは最終夜『神々の黄昏』である。

 今年も残り少なくなった。それにしても今年は3月で定年退職。その後、歯周病の治療、胃ガンの検査入院、都内の病院で腹腔鏡下手術により胃を半分切除、その後の想定外の長期入院、退院後のリハビリと慌ただしい1年だった。あと何年生きられるか知らぬ。しかし余生とおまけの人生の未練と後悔だけは少なくするようささやかな努力と抵抗だけは怠るまい。そうはいいながらズルズルと生きるのであっても。

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