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2015年10月23日 (金)

フーコーの、空間の再構成

 M・フーコーが『臨床医学の誕生』で、「現代医学は、その生誕期を18世紀末の数年間、と自ら規定した(同書p5)」と書いた前段で、この書の思想的な姿勢をよく説明している箇所があるのでそれを引用しておこう。

 話しかた(ディスクール)に変化が生じたとき、その変化を把握するためには、恐らくその主題の内容や、論理のありかた以外のものを問うべきなのであろう。つまり、「もの(レ・ショーズ)」と「ことば(レ・モ)」がまだ分離していない領域、ものの見方とものの言いかたとが、言語活動(ランガージュ)の起源とすれすれのところで、まだ互いに結びついている領域に問うべきなのであろう。発言されているものと、黙(もだ)されているものとの区別に対して、見える者と見えないものとの根源的な区分がどの程度結びついているのか、その結びつきの度合いに応じて、見えるものと見えないものとの根源的な区分を問わねばなるまい。そうすれば、医学的言語(ランガージュ)とその対象とが、単一な形態としてあらわれてくるであろう。しかし過去にさかのぼって自己に問うことをしない者には、何の特権も与えられはしない。明るみに出すに値するものとは、ただ、知覚されたものの、語られた構造だけである。この明るみとは、故意に未分化なものにしておくべきものである。つまりこれは、一つの充実した(強調の読点が付記)空間であって、その奥の凹み(これも読点)の中で、言語はその容積と尺度をくみとるのである。病的現象が根本的に空間化(これも読点)され、言語化(読点)されるレベルにわれわれは自らを置き、そして、今や何としてもそこに身を保ちつづけなくてはならない。医師は事物(もの)の有毒な中心にむかってまなざしを注ぐが、上述のレベルこそ、医師の多弁なまなざしが生まれるところであり、これが静思するところでもある。(p4)

 また次の段で、「太古以来のまなざしが、人間の苦悩のうえにじっと注がれたとき、そこに明らかな、秘密な空間が開かれたが、この空間が再編成されたことにもとづいているのである」(p5)。

 さらに、「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語に向かって開かれたことを意味するのであって、人間対自己、及びことば(ランガージュ)対もの、という関係における重要な事件である。(p9)

 これが、この書物でフーコーが明るみに出そうとした試みである。

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