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2015年10月21日 (水)

体験版 医療の現在 Ⅲ-③

 

 きょうは突然、歯科からお呼びがかかった。聞けば女医さんは何と8月7日にも受診しているという。忘れていた。手帳で確認すると胃カメラをやった日だ。やはり既に某病院で指摘されたようにアルツハイマーは進行している。

 治療は貶したり褒めたり。女医さんにしてはかなり荒っぽい診断と治療である。先日の鼻から通すイレウス管という治療といい、この病院の治療姿勢は多少の荒っぽさが基本姿勢なのかもしれぬ。繰り返すが昨今の歯科治療とは異なることは指摘しておく。それでも、こちらの歯科医は良い意味でのぶっきらぼうで、ずけずけ症状を指摘し今後の治療方向を明確に指摘してくれた。何しろ地元での歯周病の治療がきっかけとなって今回の胃ガンの手術、新たなガンの発見につながったのだから。

 それはともかく、こんなに長く入院していると医師や看護師の人間性のようなものがよくわかる。或る瞬間、弱い者に強い者の真相は直感のように届くといってもよい。それは治療する者と治療される者との立場だけに限らない。富む者と貧しき者、戦争で殺す者と殺される者などなど。そこに交わされる視線、まなざし、会話、言葉の端々、振る舞いのひとつひとつ、そこに瞬時に何か本質の如きものが伝達されるのだ。

 まなざし、とは何だろうか。母親が子を見つめるまなざし、将棋指しや碁打ちが盤面を見つめ手や局面を見つめるまなざし等々。日本語のまなざしという言葉は元々あったものなのか、あったとしても私たちが現在使う用法とは異なってきているのではないか。いずれにしても、それは少なくとも人のものであって霊長類にもそれは使えるものなのかどうか。

 しかし、間違いなくわかる、人間同士の視線の交わしあいに見られる、まなざしの独特なものがある。母親の慈愛を含んだまなざし、勝負師たちの先の勝ちまで読み抜こうとするまなざし、そこには人という生き物の独特な知覚が露呈しているように思える。

 このような身体になってあらためてわかるまなざし、それは死のまなざしと言ってもよいだろう。それには、これからしばらく、少しずつ言葉を尽くさなければならない。

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