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2015年9月30日 (水)

夕べのコンサート

 楽しみにしていたミニ・コンサートを病院隣のホールで聴いてきた。開始は午後4時だが気付いたら20分前。実は昨夜、消灯あとに吐き気をもようし夜中一睡もできず吐き続けた。朝の回診で食事の食べ過ぎだろうという診察。術後の食事は出されたものの半分ぐらいでいいらしい。残すのももったいないから全部食べたのがよくなかった。おかげで25日に外した点滴に後戻り。昼過ぎまで昨夜の睡眠不足でうとうとしていたというわけだ。

 東京都交響楽団のソリストで構成された弦楽四重奏団によるオムニバス形式のコンサートはなかなか楽しませてくれた。車椅子に乗った高齢者の患者やアカショウビンのように点滴を携えながらの視聴者も幾人か。

 冒頭はシモネッティのマドリガル。続いてモーツァルトのディヴェルティメントK136。通常は小編成のオーケストラで演奏されることが多い作品だが確か弦楽四重奏版もあったはずだ。齋藤秀雄の晩年の病床で教え子たちが演奏したというエピソードでアカショウビンも特別な作品として記憶している。続いてクライスラーの「愛の喜び」、「愛の悲しみ」、中山晋平・童謡メドレー。最後は「スウィング ジャズ メドレー」で締め括った。驚いたことにシング・シング・シングから~A列車で行こう~に移った時に期せずして手拍子が湧いた。これには演奏者たちも驚いただろう。デューク・エリントンの大ヒット曲は日本の高齢者たちのハートにも響いたということだ。これは何とも嬉しかった。本日最大の収穫である。最後はイン・ザ・ムードで粋に閉めた。西洋古典音楽の専門家たちがジャズ・ナンバーでコンサートを締め括ったところが憎い。

 第一ヴァイオリンは遠藤香奈子さん、第二ヴァイオリン横山和加子さん、チェロ長谷部一郎氏、ヴィオラ林 康夫氏。ななかな粋なコンサート、ありがとうございました。次はオーケストラか室内楽を、お金を払って聴きに行きます。

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2015年9月29日 (火)

体験版 医療の現在Ⅱ-⑦

 何と美しい空だろう。病室にいても外の景色を見れば空気が澄みわたっている様子が伝わる。昨日は術後の経過が順調なので退院日を決めるように促された。胃の痛みはほとんどない。食事の時にゆっくり食べることを心がけるくらいだ。そこで10月1日午前中退院に決めた。

 きのうは午後に高校時代の同窓生S君も見舞いに来てくれた。もう4人の孫がいる。其の世話が大変で楽しいと笑っていた。1年半くらい前に肩を骨折し全身麻酔で手術したという。その苦しさと小水の処置などのことでしばし談笑した。

 本日は退院後の食事指導などのレクチャーがある。さぁ、正念場はこれからだ。

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2015年9月28日 (月)

なに~法治国家?

 今朝の毎日新聞のトップ記事は、何と先の憲法解釈変更を内閣法制局が1日で審査を終え変更過程を公文書として残していない事実を伝えている。国家の将来を左右する憲法解釈を変更するのに殆ど検討なく後世の日本国民が解釈転換の経緯を理解する資料を隠匿する意図が明らかな所業だ。恥を知れ、それで法治国家といえるのか。3人の記者の3面記事のリードは「『法の支配』が揺らいでいる」。

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体験版 医療の現在Ⅱ-⑥

 手術後の楽しみは食事である。9月26日(木)、食事再開3日目の朝食は次の通り。お粥、味噌汁、のり佃煮(減塩)、青菜のおひたし、豆腐の煮つけ。これを30分くらいかけてゆっくり食べる。本日は白身魚のチーズ、いんげんソテー他。エネルギーは293Kcal、蛋白質、19・9%、脂質4・9g、塩分2・5g。

 その前日に小水の管が取れ、個室から大部屋に移動。右腹部のチューブが取れたのが翌日。その後、点滴も終わり何とも身軽になった。食事は食べ過ぎると胸がつまる。一昨日は吐き気までした。しかし栄養を取り早く体重を元に戻さなければならない。

 本日で術後、手術日を含めて12日目。朝の回診では退院の日も近いというご宣託。同じ部屋に後から入院してきた若い患者は本日が手術。若い奥さんが身の回りの世話をしている。患者は次から次と入ってくる。正に病院という施設は修理工場の如し。患者は修理される機械だ。近代医学の発達とともに人の寿命は延びた。近代が人類に齎した功罪は医療の場でもある筈だ。人間は機械ではない。功は明らかだ。しかし罪は何か。それを明らかにし対策を取る。それは言うは易く行うは難いという性質の問題である。それを熟考し成果を出し、次の世代に引き渡さなければならないのだ。

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2015年9月26日 (土)

体験版 医療の現在Ⅱ-⑤ 

 術後9日目。やっと点滴と痛み止めのチューブが外れた。身体が自由に動かせるということは何とありがたい事なんだろう。ベッドから看護師さんの手を借り、どこへ移動するにも点滴を装着したステンレスのバーを片手にしながらの移動だったのだから。その前はそれに小水を溜める袋、術後の体内から染み出る液体を除去する〝ドレーン〟と称する袋まで持ち歩かねばならない。それがなくなった。この解放感を忘れるな。

 アカショウビンが経験した腹腔鏡下胃切除手術とは次の通り。腹壁に0・5mm~1㎝の小さな穴を3、4カ所 開け、腹腔内に外からスコープ(内視鏡)や電気メス、鉗小(物を挟む外科用具)を入れる。そしてスコープの先端部に取り付けた電子内視鏡に映る腹腔内の画像をテレビモニターで見ながら切除する。アカショウビンの場合は正確には腹腔鏡下噴門側胃切除、空腸完治という。残った胃と食道を小腸を切り取り繋ぐ。その作業を、臍を数センチ切り取るだけで済ませるというからマジックのようなものだ。2006年7月17日、プロ野球の王貞治監督(当時)が胃ガンの全摘で一躍名を馳せた方式だ。あれから9年も経つ。群馬大学での死亡事故報道はあったけれども全国で普及しているようだ。直近の資料では現在の胃ガンの手術の約7割はこれらしい。

 お粥と少ないささやかなオカズの食事が取られるようになって3日目。30分かけてそれだけの量を食べても胸苦しさが残る。しかし、これからは栄養を取り体力をつけ社会復帰に努めるのだ。

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2015年9月25日 (金)

体験版 医療の現在Ⅱ-④

 入院、手術のあと点滴と痛み止めで身体はチューブだらけ。小水も自分ではできない。陰茎に管を入れられ不快このうえない。それが取れたのは術後一週間目の一昨日。その時は何とも気分が開けた。ところが術後血尿が止まず、医者は手術前の管の挿入時に尿道を傷つけたせいかもしれないという。術後五日目の夜中に医師がやってきて何やら処置。それで翌朝は改善していた。

 とにかく口から飲食できないというのが困る。それがやっと食べられるようになったのはきのう。昼の食事からOKのお墨付きが出た。薄い粥とわずかのオカズ。それでも少し気力が湧いてきた。このような食事に対する配慮。最新トイレの配備。看護師の細やかな対応。これが現代日本の医療体制のレベルの高さだろう。もちろん、目にはしなかったが手術のレベルも。

 担当(執刀)医師は術前の説明で「ガンは今は治りますからね」と呟いた。それは患者を安心させるための常套句であろう。しかしいくらアカショウビンが無知でもガンが撲滅できていない病気であることくらいは知っている。十年前に直腸ガンに罹ってからよくぞ生き延びれたと思う。それはたまたまだ。今回の胃ガンもステージでいうとⅣ段階のうちのⅠAの早期ガンという。しかし安心はできない。正念場はこれからだ。

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2015年9月23日 (水)

体験版 医療の現在Ⅱ-③

 手術は乗り越えた。3時間半の予定が5時間以上かかったけれども。執刀医に頬を軽く叩かれて目が覚めた。看護師さんが足の位置を変えようとしようといるのか「オミアシヲ」と言うので「オミアシなんかじゃねえ、オレは天皇陛下じゃねぇ」と悪態をついたら執刀医がそれをゲラゲラ笑いながら手術スタッフに伝えた。そこから手術台ごと病室まで戻った。

 1週間は水も飲めない。点滴のみ。ベッドから一人で起き上がれもしない。何とも不自由な毎日が続いている。小便は陰茎に管を入れられ自力ではできない。排便しようにも点滴の栄養では雲古にならない。とにかく不自由このうえない。

 しかし看護師さんの応対は痒い所に手が届くほど。これが世界に誇れる日本の医療体制であることを実感する。

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2015年9月17日 (木)

体験版 医療の現在Ⅱ-②

 本日、朝の午前8時45分に手術室へ。現在、待機中。昨日の主治医はじめスタッフの説明では手術の前に背中に硬膜外麻酔という処置をするらしい。全身麻酔はそのあと。今朝は8時前に手術着に着替えハイソックスも。エコノミークラス症候群防止らしい。下肢や骨盤内の深部静脈にできた血液の塊(血栓)が肺動脈に詰まる肺塞血栓が最近増えているという。この防止策だ。発症すると生命を脅かすらしい。そのほか手術後の合併症などの危険を事前に説明され承諾のサインをした。

 もうそろそろ看護師さんが呼びに来る。外は雨が降り出した。雨音が窓の外に聞こえる。

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2015年9月16日 (水)

体験版 医療の現在Ⅱ-①

 7月に2週間、市立病院に入院していらい、2ヵ月ぶりに今回は都内の病院に本日から入院。明日、手術である。ずいぶん待たされた。8月7日に胃カメラの検査。結果を14日に聞く。既に市立病院で胃ガンと診断され胃の全摘手術の段取りだった。しかしセカンド・オピニオンを受けて、この病院で手術することにした。その後の説明で食道ガンまで見つかった。そして胃ガンの手術は全摘でなく、腹腔鏡手術ということに。全摘の開腹手術より負担が少なく入院期間も短くなるという。とりあえず、胃ガンから先に。本日は午前10時に入院。採血、採尿、心電図検査、レントゲン、胃カメラと続く。

 病室は市立病院より広く窓際で外の景色が眺められてよい。病室は4人部屋。アカショウビンの他に先に一人入ってらっしゃる。さすがに、この数日は些かの不安があるのだろう。床についてからあれこれ考えた。ダブルのガンで先行きはどうなるのか。体調はすでにガタがきていて、それは今年になってはじまったことではない。階段を上るのがシンドイ。左肩があがらぬ。すでにガンは全身を侵しているのではないかと疑う。正念場である。

 テレビは、先週の関東、東北の豪雨被害の続報、国会の学級員会のような論戦、議事堂前のデモ、シリア難民の現実を繰り返し報道している。世界はアカショウビンが病院のなかで手術を前に愚考している間も時々刻々動いている。アカショウビンもまた同様に動いている。病室は静かだ。しかし静的な中で動的な変化がある。それは私という肉躰と精神と魂を介している。治療を受け、懇切な扱いをうけるだけ良しとせねばならない。シリアでも常総市でも、フクシマでもアカショウビンより過酷な運命に翻弄され苦しんでいる人々はたくさんいる。小津安二郎監督の「東京物語」で東山千栄子が笠 智衆に語りかける「私らは、まだいいほうでさぁ」の台詞がアカショウビンの現状であることを肝に命じよう。

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2015年9月10日 (木)

何という光景だ!

 NHKテレビや民放では鬼怒川の堤防が決壊し茨城県常総市の住宅地に濁流が流れ込んでいる様子をヘリコプターから撮影し報道している。濁流のなか電信柱にしがみついている男や流された家屋の屋根で救助を待つ男たちと飼い犬の姿。それは自衛隊の救助隊が無事に助けた。それにしても何という光景だ、これは。東日本大震災のとき以来だ。もちろん地球の各地では、同様の光景があるだろう。ヨーロッパではシリアの難民が流れ込んでいる。それは人災である。しかし豪雨や洪水は天災だ。何とも凄惨な光景である。

 自衛隊のヘリコプターが救助を行う姿は人間という生き物の卑小さと健気さを伝える。あぁ、人間と生き物はこの惑星で何という存在なのだろう。戦争の武器となるヘリコプターはこのような時に人助けの機械となる。この矛盾こそ人間という生き物の姿だ。しかし人知を超える出来事がある。それを日常で意識しなければならぬ。しかし多くの人間たちは愚かだ。それを明日は忘れる。何とかならないのか。政治も同じ。70年前の地獄を既に為政者たちは忘れ権力闘争に明け暮れる。何とかならないのか日本、世界、この惑星の人間どもたちよ!

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2015年9月 7日 (月)

陽の光と人の孤独

 大阪に棲んでいたころ陽の光のありがたさに改めてに気付いたことが二度あった。工事現場の近くで警備の仕事に携わっていた時。田圃にサギがいる。それに降り注ぐ陽の光。もう一度は百貨店のフロアを警備していた時に階下から植わっていた高木に降り注ぐ光。人は日常生活のどこかで、陽の光のありがたさに気づくが日常の無意識の時にまぎれて直ぐに忘れる。しかし振り返って、その光の貴重さに思いいたることがある。

 「幻の光」(1995年 是枝裕和監督)は監督のデビュー作。これは、そのような記憶を想い起こす機縁となる佳作だ。その後、キャリアを積んだ監督の中でも二度と撮れない作品と言ってよいかもしれない。そこに漲る詩情は原作を超えているのではないかとも思われる。それともうひとつ。是枝作品の基調には人の孤独に対する一つの動かし難い視覚がある。それは後の「そして誰もいなくなった」などの作品に引き継がれる。それは映像の純文学の如きものとして若い監督たちの作品に描かれる。事故で愛する夫を若くして失くした女が抱える孤独。尼崎から再婚して能登の輪島の子持ちの男に嫁ぐ孤独。異郷の地で生きる孤独。それは人生のなかで誰もが経験する孤独だ。正しく人間はこの世界に投げ込まれた孤独な存在なのである。哲学用語で言えばハイデガーの説く頽堕だ。幾人かの映像作家が人間が共通して抱えるその孤独感を映像で表現しようと試みる。しかし往々にしてそれは独りよがりの如きものとして失敗する。ところが、それが作品の詩情として描かれる時がある。是枝はそこに達したと思われた。それは洋の東西南北をとわない。幾つかのカットはI・ベルイマンやテオ・アンゲロプロス、小津安二郎、タルコフスキー作品にも比肩することをアカショウビンは看取した。

 先日、内田吐夢監督の昭和33年作品「森と湖のまつり」をレンタルDVDで観た。巨匠の失敗作と思う。武田泰淳の原作小説は当時大ヒットしたらしい。巨匠も気合い十分で臨んだことはわかる。しかし原作を超えたとはとても思えない。意気込みと結果の無慚な駄作とアカショウビンは解した。それからすると是枝作品は宮本 輝の原作を恐らく換骨奪胎し新たな映像表現を成し得ていると確信する。主演の江角マキコの大阪弁(尼崎弁)はこなれていない。しかし作品の構成力がそれを補って余りある。赤井英和好し、内藤剛志好し、柄本 明好し。子役や脇役陣も健闘している。特筆すべきはキャメラだ。中堀正夫が捉えた雨上がりの尼崎の民家の道路の照り返った光の美しさと、能登・輪島の葬列のロングショットは見事だ。輪島の海の凄絶さもしっかり捉えている。音楽は陳 明章(チェン・ミンチャン)。作品の静謐さに見事に寄り添っている。

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2015年9月 4日 (金)

回想と現在

 若い友人から、あなたは私の歳の頃どんな本を読んでいたのですか、とネットで尋ねられた。何だろうな、と思いその頃の日記を引っ張り出した。別のノートにはその年に読むつもりの本が羅列されていた。月刊誌に掲載されていた新作小説、好きな作家の単行本、内外の哲学書、仏教書、推理小説、評論集、落語の聞き起こし、など何とも雑多。雑読もいいとこだ。

 1986年の暮れ。アカショウビンは東京の下町で仕事を探しながらアルバイトで食いつないでいた。何かをやらねばと思いながら。これまでの10年を如何様に総括するかと悶々としながら。そこでは成住壊空という仏教用語も明滅していた。もったいつけて言えば無常感とも諦観ともいえるかもしれない。深夜のパチンコ屋の掃除でアパートに帰るのは明け方。昼間に寝て夕方に起きる。そのあとはCDのセールスマン。結婚もせず、このまま朽ち果てていくのか、といったぼんやりした不安はアルコールでいなす。

 十年は、ひと昔、と井上陽水は歌った。時代は移り変わる。十年は一瞬でもある。その間にさまざまな日常を人は生きる。記憶は消え去るが時に閃光のように甦る。そのころは10年前の日記を読み直している。生き方を変えようともがいているのだ。その10年前、1979年は社会人になって間もなく。大学を出て1年の就職浪人のあと採用された音楽事務所は半年で辞めた。それからは秋葉原の家電店の販売員のアルバイトで凌いだ。

 1989年、時は昭和から平成へと移った。そこで果たして昭和は総括されたのだろうか。その問いは現在まで底で繋がっている。人の生を社会の区分で分けられてはたまらない。歴史の底に日常は沈殿していく。しかしそれを漫然と眺めているだけなのかオレの人生は?1979年の日記には夢のことを書いている。夏の夢は高校の同級生たちが登場する。その10年後の冬の夢でアカショウビンは囚人として監獄にいる。手錠、独房、狭い汚い便所、汚穢、裁判、公判、弁護、釈放、自由。隔絶した恐怖、苦痛からの解放。その解放感こそが自由であり、生の実感だったのではないか。

 今はどうか。その頃から少しも変わらないといえば変わらない。友人たちはずいぶん変わったと言う者もいるが顔つきや体格だろう。本質は変わらない。その本質とはしかし静的なものでは決してなく正しく動的なものだろう。それは魂なのか霊魂なのか、精神なのか。

 若い友人とは先日、新橋の飲み屋で会った。いい店だった。40年間続けているとマスターは言う。アカショウビンは久しぶりに故郷の黒糖焼酎を飲んだ。その時、友人にメモして伝えた本や短篇の中に「テロルの決算」(沢木耕太郎)、「セヴンティーン」(大江健三郎)があった。27年間の歳月が過ぎ戦後70年とマスコミは騒ぐ。アカショウビンにとってこの平成と命名された27年間はどのように国の歴史と関わり交ったのだろうか。残り時間はそれほどない。幕末も明治も大正、昭和、平成も貫く棒の如きものなのか。

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