« 仇ば討つとよ | トップページ | 「貧しさ」とは何か »

2015年8月10日 (月)

貧しさと良心

 何という善意!市川崑監督の「かあちゃん」(東宝 2001年)は、そのように溜息をつくしかない作品だ。原作は山本周五郎。天保末期の江戸庶民の人情を何の衒いもなく描いている。ユーモア交えた落語の人情噺の一席、といってもよいが、それで済ますこともできない。ここまで善人たちを描いて監督は何を作品に込めようとしたのか。俗人はそんなひねくれた思いにも堕ちこむ。

 冒頭、「老中水野忠邦による改革の効なく、過酷な課税の増徴、飢饉による米価の騰貴、浮浪者は増加し、江戸下層階級の窮乏は、さらに激化」との縦文字の説明。そんな時代背景での物語だ。筋は敢えて紹介しない。巨匠の小品として済ますこともできようが、そこには人間という生き物のもつ可能性を一筆で描いた筆の運びを楽しむこともできようか。

 脚本は和田夏十と竹山洋。音楽、宇崎竜童。タイトル画を和田誠が書いている。これが実に良い。主演、岸恵子。貫録である。小沢昭一、中村梅雀、春風亭柳昇、コロッケ、江戸家小猫ほかの脇役陣。

 この作品の少し恥ずかしくなるような、人間の善意、良心とでもいうものは原作者と脚本家の紡ぐ物語の中だけではなく、私たちの周囲にもあるのかどうか。ないともいえず、さりとてあるともいえないような。そんな作品を巨匠は何で撮ったのか、という疑問も世俗にまみれた者の濁った心には、ぼんやりと湧くのである。

 そこで何か督促されるのは貧しさと良心ということになるだろうか。もちろん、その裏には人間の悪という形而上学が待ち構えている。何やら不可解な感想で恐縮。

|

« 仇ば討つとよ | トップページ | 「貧しさ」とは何か »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/62056763

この記事へのトラックバック一覧です: 貧しさと良心:

« 仇ば討つとよ | トップページ | 「貧しさ」とは何か »