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2015年8月 9日 (日)

仇ば討つとよ

  表題は、本日の読売新聞に掲載されていた美輪明宏さんのインタビューで、軍国少女だった女子挺身隊の姉上が8月15日の玉音放送を聴いたあと、大声で泣き伏し美輪さんに話した言葉だ。「あんたたち、大きゅうなったらこの仇(かたき)ば討つとよ」。

 きょうは長崎の原爆投下日である。11時2分、アカショウビンも瞑目し合掌した。この日を迎えるたびに井上光晴の小説を映画化した黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」(1988年)を想い出す。幸せな平凡な家族の日常が一瞬にして消滅した地獄を作品化した佳作だ。都内では監督作品が上映されているらしい。アカショウビンも数年前、晩年の数作を凝視した。それは黒木監督の渾身の作と受け取った。

 昨年、5月に仕事で二度目の広島市を訪れた。翌日は休日で市内のホテルから路面電車で原爆ドームへ赴いた。写真を撮り、ぶらぶら歩いて記念館を訪れた。その途中、偶然に1978年8月に同所を訪れた草野心平の詩を刻んだ石碑を発見した。その記事を再掲し峠三吉の詩と共に70年前の地獄と今日の平和の稀少を肝に命じたい。

   天心の三日月の上に

    幻でない母と子の像

   これこそ永遠の平和の象徴  

   童子よ母の愛につつまれて

    金のトランペット吹き鳴らせ

   天にも地にも透明な

   平和の調べ吹きおくれ  

   どんな未来がこようとも  

    頬っぺいっぱいふくらまし

   No・more・Hirosimaの  

    金のトランペット吹き  鳴らせ

 

 記念館に至る間には巨大な蘇鉄が植わっている。陽が高くなる前の空気は少し肌寒いくらいだ。生き残った被爆者の多くの人々があの記憶を思い出したくないと言う。何と当日の写真は3枚しかない。新聞記者が撮ったものという。映像は一切残っていない。  最近の「美味(おい)しんぼ」論争でも同様に、そのような苛烈な記憶を脳裏から消し去りたいというのは先の大戦で殺し合いの現場を経験した兵士達にも同じだ。しかし人の業はそれを許さない。それは懊悩とも悶絶ともいった言葉では尽くせないが人が記述する言葉でその文を介して苛酷な体験が書き残せる。なぜなら、人という生き物は、あるいは存在は言葉という家に棲むからだ。そこで全精神を最大限に働かせて究極まで辿りつこうという意志と辛苦が不可欠なのだ。

 次に、峠三吉の詩を写す。1963年8月6日 三宅一子

 ちちをかえせ ははをかえせ  

 としよりをかえせこどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ  にんげんのあるかぎり

 くずれぬへいわを  へいわをかえせ

 この叫びを心底から聴き取らねばならぬ。そこには聴く者の想像力が試される。 (以上、昨年記事の再掲)  

 昨日、立花隆さん(以下、敬称は略させて頂く)がNHKテレビで先の大戦を振り返り山口市の香月泰男美術館を訪れ作品を鑑賞し、それをもとに故郷の長崎の大学生たちと対話していた。立花は空襲で焼け焦げとなった黒い屍体と香月がシベリア抑留時に満州を経てナホトカまで帰る途中で中国人に生皮を剥がれ切り刻まれた日本人の無慚な赤い屍体を作品化した作品を比較して論じる。黒い屍体で私たちは被害者としての残酷を訴える。しかし大事なのは残忍な殺し方に込められている、加害者としての日本人への中国人の怨みを忘れてはならないということだ。香月は帰国して被害者意識ばかりが強調される日本人の姿に違和感を感じたという。香月の作品には加害者としての日本人を意識する姿勢が明らかだ。戦後70年、私たちは、このような視覚を含めて現在から将来を生き抜かねばならないのだ。  

 美輪の姉上の言葉の仇の対象は米国だ。それは米国に原爆を落とし復讐することで済むものではない。憲法を堅持し、それを世界に発信し説いていくことだ。それは、かつての敵国と同調し世界で武力を行使することでなく、歴史の貴重ともいえる日本国憲法を元に戦争をせずにすんだ戦後70年の繁栄の光と陰の本質を後世に、世界に伝え主張していくことだ。

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