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2015年8月 8日 (土)

ありがとうな、また、会おうの

 「おくりびと」(2008年、滝田洋二郎監督)を市立図書館から借りてきて観た。物語のなかほどで、風呂屋のおばちゃん役の吉行和子さん(以下、敬称は略させて頂く)が急死する。表題は、彼女を火葬する常連客の笹野高史が死者の息子の杉本哲太に語りかける言葉である。

 6年前に逝ったアカショウビンの母親は「死ぬのは怖くないよ」と息子に話すともなく呟いた。昨日、都内の病院で胃ガンに続き食道ガンを告知された。一難去らずにまた一難である。仏教でいえば釈尊は人の生涯は生老病死と捉えた。イエスと神を信じた内村鑑三は霊魂の不滅を説いた(「宗教座談」 2014年4月16日・岩波文庫)。釈尊の悟達はアカショウビンの現実となって迫っている。

 還暦を過ぎる前後からアカショウビンの周辺には様々なことが起こった。還暦同窓会で21年ぶりで帰郷する時に中学時代の同窓生T君を誘ったら奥様がTは2年半前に亡くなりましたという。その前には会社の後輩のUさんが32歳で亡くなった。その前後に高校の恩師のK先生が亡くなられた。今年は仕事で縁あった経営者が二人亡くなり葬儀に参加した。先日はアカショウビンが胃ガンの検査入院した日に知人のSさんが脳内出血で急死した。我が身の余生もいくらもないだろう。メメントモリ。死を忘れるな、という言葉が共振して響く。

 物語で笹野は、次のように故人の息子の杉本哲太に語りかける。「死ぬってことは、終わりということでなくて、そこを潜り抜けて次へ向かう、まさに門です。あたしは門番として、ここでたくさんの人を送ってきた。行ってらっしゃい。また会おうの、て言いながら」。杉本が号泣しながら語りかける「かあちゃん、ごめんの、かあちゃん、ごめんの」の言葉と姿はアカショウビンの声と姿でもあった。女房と孫の顔も見せられなかった馬鹿息子の。

 死とは何であるのか。人の死とは何か。新たな思索を督促される。

 この作品で主演の元木雅弘の奏するチェロの響きが心に沁みる。アカショウビンは小学校のころ学校の小さなオーケストラで5年生のころチェロを任された。敬愛する詩人の宮澤賢治もチェロを弾いていた。チェロはアカショウビンにとって特別な楽器なのである。その響きは人の声のように奥深い。今宵はCDでバッハの無伴奏チェロ組曲を聴こう。

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