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2015年8月31日 (月)

未見の佳作映画

 「暗殺」と「乾いた花」は篠田正浩監督(以下、敬称は略させて頂く)の1964年作品。最初に「暗殺」を観た。司馬遼太郎の原作を映像化した監督の意気込みが伝わる秀作。主役は丹波哲郎。幕末を生きて斃れた清川八郎の生を描く。志士達の姿や幕末の時代情況を篠田独特の視線で濃密に。佐田啓二が坂本竜馬役で出演しているのは意外。「乾いた花」は石原慎太郎原作。主役は池部 良、加賀まりこ。池部のヤクザと奇妙な博打打ち加賀の小悪魔的な存在感が面白い。賭場の緊張感は東映任侠映画とは異なるこの作品の成果ともいえる。親分役の宮口精二と東野英治郎の演出はキャスティングの手柄だ。武満 徹の音楽が秀逸。武満作品で映画音楽が重要な場を占めていることを実感する。

 「ラモーレ・チッタ」(街の恋)は1950年代イタリアのオムニパス作品。6人の監督の短篇で構成されている。映画俳優でなく大都市に棲む市民たちが主役というのが共通テーマ。〝待つ・出会う・別れる、は愛が持つ3つの顔〟というナレーションが入る。初期のフェリーニとミケランジェロ・アントニオーが参加しているというので興味深く観た。フェリーニは「結婚相談所」。敗戦後の荒廃したローマに地方から人々が流れ込む。若い男女は結婚願望が強い。政府は多くの公団住宅を増設するが結婚できず売春で生活する女も多い。フェリーニがそのような男と女の悲哀をさらりと描いている。ミケランジェロ・アントニオーニの「自殺未遂」はもっと深刻。恋愛の破綻や生活苦で自殺を図った女たちを描く。他にはカルロ・リッツァーニの「金で買う愛」、ティーノ・リージの「3時間のパラダイス」、フランチェスコ・マゼッリの「カテリーナの物語」、アルベルト・ラトゥアーダの「イタリア人は見つめる」。この中でアルベルト・ラトゥアーダ作品が他作品の暗さとは異なるイタリア人の明るさを描いて面白い。中流から上流階級のファッションを大いに楽しむ豊満な肉感を誇らしげに男たちの目にさらす若いイタリア女性が何とも輝いている。台詞の殆どない映像と軽やかな音楽がなかなかよろしい。敗戦後のイタリアの青春偶像は日本でも文化は異なってもアメリカ映画に影響されたという点では共通する。しかし若い監督たちがそれとは異なる新しい試みに挑戦する貴重な記録としても貴重だ。

 篠田の作品を最初に観たのは「心中天網島」(1969)。これには感心した。70年代に小劇場でよく上映されていたATG作品と共通する芸術家肌の監督たちの作品の一つというのがぼんやりした印象だった。「乾いた花」もそうだが完成度は高い。しかし「心中~」以降は幾つも観ていない。その後観たのは「瀬戸内少年野球団」、「少年時代」など幾つか。これはエンターテイメント溢れる作品で夏目雅子の熱演が光った。篠田の戦後社会へのメッセージも含まれてiいるが「乾いた花」の賭場のシーンのようなヒリヒリした苛烈さはない。監督として熟練し或る種の脱皮しを遂げたのだな、とでもいう印象をもった。往年の名匠が既に逝き篠田も84歳。新作は期待できないだろうが、同年代の山田洋次の元気さが際立つ。篠田の初期作品がレンタルされるのを期待したい。また、たまには映画館に足を運びたい。

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