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2015年7月 1日 (水)

みやらびあはれ補稿

 保田與重郎は半島の軍病院で〝瀕死の重患〟の渦中に老子を読んで入院の無聊を凌いだ。(p35~)その時にふと佐藤惣之助の歌の一節を思い出す。

 「一つの歌の全體ではなく『そらみつ大和扇を』かざしつゝ云々といふ上句の初句と、結句の『みやらびあはれ』とであつた。その二句だけで、あとはどう考へても確かな氣持ちとしては思ひ浮かばなかつた。歌のこゝろは、そらみつ大和扇をかざし舞ひつゝ、歸る旅人に、再度この島を訪れ給へとくどくのである。みやらびは沖縄で、をとめを呼ぶことばであつた。「(p36)

  軍隊生活をほとんど軍病院の病舎で過ごしていた保田は沖縄の戦況を半島の病舎で知る。「殆ど死の状態をさまよつていた。人間のあらゆる生理的機構が、あれほど全面的に無慚にくづれるものであらうか、身體のあらゆる部位が一様に停滞し、所謂瀕死になる」(p30)。

 その軍病院で会った一人の軍医が沖縄の人だった。保田の症状は貧血で血液が尋常の人の場合の3分の1位の濃度に減少していた。これには些か驚いた。というのも、アカショウビンの場合も体調不良で赴いた病院の血液検査で赤血球が平均値の約3分の1と告げられたからである。「朦朧とした危篤状態の中で、私は無言で沖縄沖縄とつぶやいてゐた」(p31)。沖縄の思い出を辿るなかで保田は那覇の港に船が入っていく時に町の赤い瓦を思いだす。その瓦屋根は沖縄戦で殲滅された。こうして保田の回想の中で在りし日の景色が読む者の脳裏に刻まれる。「熱帯性の自然のきらびやかな色彩の中で、ことに輝かしく見える」(p31)。ヤマト(内地)の人々にとってもっとも印象的なものが南島の自然だろう。それは奄美へ移住した島尾敏雄や田中一村にとっても同じだったと思われる。

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